54歳:起業家一年生 / 最後発から中堅企業へ
(著) 青田利一
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―創業と発展、そのために必要なものとは何か―
大学卒業後に川崎重工へ入社し、数回の転職の中でも一貫して溶接技術と関わってきた著者は、たまたま訪れたアメリカ国際ウェルディングショーでのWAグループ創業者と出会い、創業という新たな道に挑戦することを決意する。子供の頃から憧れていた「物つくり工場」、しかしその夢を実現させる道のりは決して平坦なものではなかったーー54歳にしてウェルディングアロイズ・ジャパンを創業した著者が、大手がひしめくメンテナンス業界で最後発ながら中堅企業として躍進するまでの20年の軌跡を、自身の人生と共に振り返った回顧録。
[目次]
まえがき
1.創業に至る経緯
2.創業前後でお世話になった方々
3.企業理念とビジネスの在り方
4.WA Japanの事業の進展
4.1 事業開始と草創期の塗炭の苦しみ(1999年~2000年)
4.2 無我夢中の草創期(2000~2005年)
4.3 事業が軌道に乗り始めた成長過程(2005~2010年)
4.4 業態の変革を意識し始めた時期(2009~2015年)
4.5 新工場実現、国旗掲揚ポスト・社長継承および企業理念碑の建立(2012~2017年)
4.6 学協会活動(2006~2019年)
4.7 新事業を模索する時期(2017~2019年)
4.8 トラブル対応の大切さ
4.9 創立20周年記念式典(2019年)
5.インドネシアでの人材育成と新会社設立(2017~2020年)
5.1 帰還後の生活実態の確認
5.2 インドネシアでの新会社設立
5.3 その後のWISHの事業展開
6.マイルストーン(里程標)
あとがき
著者略歴
[著者略歴]
昭和20年(1945年)2月2日 兵庫県神崎郡船津町仁色4975-1において、青田惣一、ふさゑの間の第五子(三男)として生を享ける。
昭和35年(1960年)3月 姫路市立神南中学校卒業
昭和38年(1963年)3月 姫路市立飾磨高校卒業
昭和43年(1968年)3月 大阪大学工学部機械工学科卒業
昭和43年(1968年)4月 川崎重工業株式会社入社 ボイラ事業部に配属(溶接研究室兼任)
昭和58年(1983年)8月 同社を自己都合退職
昭和58年(1983年)8月 日本弁管工業株式会社に入社
昭和61年(1986年)12月 同社を自己都合退職
昭和62年(1987年)1月 創研工業株式会社に入社
平成6年(1994年)12月 同社を自己都合退職
平成7年(1995年)1月 日本ウェルディング・ロッド株式会社に入社
平成11年(1999年)9月 同社を自己都合退職
平成11年(1999年)10月 株式会社ウェルディングアロイズ・ジャパンを創業(社長に就任)
平成29年(2017年)1月 株式会社ウェルディングアロイズ・ジャパンの社長を辞し、会長となる
平成29年(2017年)10月 Pt. Weltek Indonesia Sejahtera(溶接技術によるインドネシアの繁栄という意味、略称Pt.WISH)を設立、WA Japanでの実習生を中心として事業を開始
令和元年(2019年)10月 株式会社ウェルディングアロイズ・ジャパン創業20周年を迎え、大宮パレスホルで記念式典を開催
[担当からのコメント]
本書を読んでいると、人なくして技術はなく、人なくして企業はないということを改めて痛感します。企業とは、技術とは、働くとは何か、そんな問いを根底に持つ本書は、製造業だけでなく広く一般のビジネスパーソンにとっても示唆に富む内容になっていると思います。ぜひご一読ください。
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