禅を生きる : 自覚への道

(著) 桐山紘一

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作品詳細

[商品について]
―禅仏教を通して考える教育、人生、そして生きるということ―
私たちは何のために生きているのか、生きるとはどういうことなのか、そして私たちはどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか――本書はそうした問いに対して、「死」を見つめ生きることの本当の意味を見つける「根本の教え」としての宗教、特に禅の視点から答えようとする作品です。キリスト教と仏教の違いから禅の効用、そして教育をはじめとする社会問題まで、自らも禅の実践者である著者が自身の体験も交えながら、「禅を生きる」ということを分かりやすく解き明かします。

[目次]
序 文  褝を生きる 自覚への道
序 章 21世紀の宗教、褝仏教
21世紀の宗教、禅仏教
なぜ、人間は宗教を必要としているのでしょうか
宗教の教えの根本とは何でしょうか?
第1章 どんな宗教があるのだろう
キリスト教と仏教の違い
仏教の要点とは何だろう?
坐禅の目的と方法について
なぜ、宗教が必要なのだろうか
第2章 「身心一如(しんじんいちにょ)」で健康をもたらす褝
禅と健康
坐禅は呼吸
第3章 宗教教育の現状と課題
宗教教育を考える
根本知(こんぽんち)と分別知(ぶんべつち)
結果主義(成果主義)とプロセス主義
素読(そどく)・読誦(どくじゅ)のすすめ
環境問題を考える
FM善光寺、「禅の話」出演録
川柳の楽しみ
第4章 褝を生きる「動中の褝」
動中の禅1 日常生活と禅
動中の禅2 機縁(きえん)を観(かん)ずる
動中の禅3 僧堂における動中の禅
動中の禅4 全てを生かす農業をめざして
動中の禅5 無分別の分別
動中の禅6 無心と音楽芸術
第5章 褝を生きる音楽表現
縁起としての音楽表現
禅と作曲、その1 作曲の原点は、感動にある
禅と作曲、その2 作曲家集団「たにしの会」の活動、日本音階と和声
禅と作曲、その3 即今の自己を見つめる
第6章 縁起と空
縁起と空 その1 「般若心経講話(はんにゃしんぎょうこうわ)」
縁起と空 その2 「四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)、三学」
縁起と空 その3 「此あるがゆえに彼あり…」
縁起と空 その4 「根本中論頌」
第7章 褝と唯識
「空」を心の世界にまで展開したのが唯識
ヨーガの実践をする人々によって説かれた唯識
唯識の三性説(さんしょうせつ)とは何か
識の構造とはたらき
マナ識のはたらき
唯(た)だ識のみであること
あとがきにかえて
【主要参考文献】
著者略歴

[担当からのコメント]
「なりたい自分になる」というような言葉が広告等で使われ、その「自分」とは何かを求めて「自分探し」の旅に出る、そんな世の中ですが、本書を読んでいると、そうした問いは実は禅という仏教の中で連綿と受け継がれ実践されてきたことにあらためて気づかされます。せっかく禅が息づく国に生まれたのなら、ぜひ多くの方にその真髄を知ってもらいたい、そんな思いを抱かせる本書、ぜひご一読ください。

[著者略歴]
桐山紘一(きりやま こういち)

1941年 長野県に生まれる
1964年 信州大学教育学部卒業
      同年 諏訪市立四賀小学校を皮切りに長野県
      下小中学校に勤務
1967年 作曲家小山清茂主宰「たにしの会」に所属し
      作曲の勉強を開始
1973年 在家として担雪会、岡田利次郎師に参禅
1983年 釈迦牟尼会に入会し苧坂光龍老師に師事。
      続いて森本稚堂老師、
      常井龍善老師、山本龍廣老師に師事
1991年 長野禅仏教会を主宰(釈迦牟尼会長野支部)
2002年 長野県教員を退職
2008年 釈迦牟尼会室内円了
2013年 嗣法 法名は無楽紘龍

著書に『梅のある里』柏企画。作曲作品に「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ『信濃の歌』」。歌曲「歎異抄」。以上は、日本作曲者協議会出版。他、一人おぺら「土佐源氏」等々がある。

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