知覚というアポリアを超える:現代唯物論と「知覚の哲学」
(著) 種村完司
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[商品について]
―「私」と「世界」を根源的に問う「知覚の哲学」―
「知覚する」というごく当たり前の行為について、これまで多くの哲学者が才能の限りを尽くして知覚論を展開してきたものの、私たちは完全な解答は未だに得られていない。
本書は、この身近で基本的な問題に対して、自らの知覚経験ないし知覚の日常的事実に絶えずたち戻りつつ、先行する諸科学の成果と対話し批判的に吸収しながら、唯物論的見地から知覚論を展開しようと試みた作品である。
知覚の全体像を中心として、社会現象や精神現象まで射程に収める「知覚の哲学」は、変革期を迎えつつある現代における思考ツールとして示唆に富む内容となっている。
[目次]
まえがき
第一章 知覚の構造
第一節 「知覚の哲学」は可能か
第二節 知覚の構造――感覚と知覚――
第二章 知覚における自我とカテゴリー
第一節 知覚と自我
第二節 知覚とカテゴリー
第三節 いわゆる空間知覚と時間知覚について
第三章 知覚と真理
第一節 知覚は「何」をとらえるか
第二節 知覚は誤らないか
第三節 知覚にたいする信と不信
第四節 知覚相対主義の批判
第四章 因果性と知覚
第一節 因果性へのさまざまな問い
第二節 因果性理解の哲学史―素描―
第三節 現代の因果性論の到達点――M・ブンゲの『因果性』
第四節 因果関係をどう規定するか――私の立場
第五節 因果性の知覚
第五章 知覚の意味
第一節 「知覚の意味」を問うことの意義
第二節 知覚がふくむ多様な意味(1)
第三節 知覚がふくむ多様な意味(2)
第四節 知覚の意味をめぐる諸問題
補論 唯物論的知覚論の課題と試み
一 知覚をめぐって今日どんな問題があるか
二 カメラ・モデルの知覚観をどう批判し克服するか
三 知覚は要素の総和か、あるいは意味的全体か
四 「知覚は外界の模写ではない」か
あとがき
索引
[出版社からのコメント]
19世紀から20世紀にかけて隆盛期を迎えた哲学は、いま停滞期に入っているといえるかも知れません。人間の歴史の中で、思想は様々な社会運動を生みだしてきましたが、確固たる思想を持ちえない現代の私たちは、時代の大きなうねりの中で行く当てのない漂流を強いられている様に思います。本書の試みが多くの方の灯台となり舫となって、新たな時代を切り拓くための一助となることを願います。
【著者プロフィール】
種村 完司(たねむら・かんじ)
1946年、名古屋で生まれる。
京都大学文学部、京都大学大学院博士課程を経て、1977年以降、鹿児島大学教育学部で講師、助教授、教授を務める。
1996年、本書『知覚のリアリズム』によって博士(社会学)号を授与される。【一橋大学社会学部】。
鹿児島大学副学長(2003~2007)、鹿児島県立短期大学学長(2010~2016)を歴任。
現在、鹿児島大学名誉教授、および鹿児島県立短期大学名誉教授。
主な著書
『近世の哲学者たち』共著 三和書房 1979年
『哲学のリアリティ』共著 有斐閣 1986年
『「豊かな日本」の病理』共著 青木書店 1991年
『知覚のリアリズム―現象主義・相対主義を超えて―』単著 勁草書房 1994年
『心―身のリアリズム』単著 青木書店 1998年
『コミュニケーションと関係の倫理』単著 青木書店 2007年
『『葉隠』の研究』単著 九州大学出版会 2018年
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