歴史のなかの草相撲ーー雷電為右衛門、浦風林右衛門から祭礼相撲まで
(著) 小林基芳
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―江戸庶民の一大イベント、それが草相撲―
村落共同体の中で若者組が中心となって取り組んだ祭礼相撲。雷電為右衛門の最盛期とも重なる寛政・文化の頃からは、草相撲が祭礼相撲というかたちで盛んになっていく。長野でも、浅科村の祭礼相撲の周縁には雷電為右衛門や浦風林右衛門が位置づいており、今にのこる古文書や化粧回などからは当時の人々が相撲に寄せた熱い思いが伝わってくる。雷電為右衛門を中心に、小諸の地で免許状などの古文書を渉猟しながら活況を呈した草相撲の情景を浮かび上がらせた貴重な相撲郷土史研究。
[目次]
口絵
『草相撲が盛んだったころ』発刊にあたって
はじめに
一 相撲の歴史
1 吉田追風と江戸相撲年寄
2 浦風林右衛門と雷電為右衛門
3 相撲稽古場
二 雷電為右衛門の書状と相撲興行
1 雷電為右衛門の書状
2 雷電為右衛門の引退相撲興行
三 浅科村内に保存された相撲古文書
1 浦風林右衛門四本柱土俵免許状
2 浦風林右衛門相撲門弟免許状
3 木村庄之助相撲行司門弟免許状
四 祭礼相撲運営の実態
1 小諸藩の相撲などの規制
2 八幡宿八幡宮の相撲
3 五郎兵衛新田の雨乞(あまご)い相撲
五 草相撲の行方
1 宿祢会の相撲番付
2 その後の力士
六 史 料
雷電為右衛門の書状関係
1 (寛政十二年申)九月七日 雷電為右衛門の丸山新左衛門宛書状
2 申九月八日 安中宿より塩名田宿迄の宿々問屋継の中山道板鼻宿問屋の書状
3 申九月十二日 丸山新左衛門の雷電宛書状案
4 (申)九月十一日 小諸荒町小山丈左衛門の峯之海・龍か崎宛書状
塩名田・御馬寄の浦風林右衛門相撲稽古場関係
1 嘉永元年六月 浦風林之助の相撲免許書替え証書
2 文化七年 浦風林右衛門相撲稽古場免許状
3 明治二十年十一月 八代目浦風林右衛門相撲免許書替え証書
塩名田瀧之宮祭礼相撲関係
1 文化五年七月 瀧之宮祭礼相撲興行定書
2 文化五年七月 御普請残金処理受取証書
3 文化六年 瀧之宮本社向替えと祭日変更の記事
4 年不詳 十一月 塩名田宿より雷電為右衛門宛付届米の受取
5 年月日不詳 瀧之宮箱代購入覚
浅科村に保存された免許状
(一) 四本柱土俵免許状
1 天保十二年九月 浦風林右衛門四本柱土俵免許状
2 弘化二年八月 浦風林右衛門四本柱土俵免許状
3 安政五年十二月 湊川四郎兵衛祭礼相撲土俵免許状
4 安政六年七月 浦風林右衛門永代四本柱土俵免許状
(二) 相撲行司免許状
1 天保六年七月 木村庄之助相撲行司免許状
(三) 相撲門弟免許状
1 安政三年二月 浦風林右衛門相撲門弟免許状
2 安政三年八月 浦風林右衛門相撲門弟免許状
3 明治五年九月 浦風林右衛門相撲門弟免許状
(四) 雨乞い相撲
1 嘉永元年七月 五郎兵衛新田村雨乞相撲入用帳
2 嘉永元年七月 五郎兵衛新田村雨乞相撲名乗附帳
小諸の雷電為右衛門関係史料
1 (文化九年)九月八日 雷電為右衛門の柳田藤助・清之助宛書状
2 文化九年九月 雷電角力宿割并借物控帳
佐久宿祢会相撲番付
浦風林右衛門関係免許状
七 参 考 文 献
お わ り に
著者略歴
[担当からのコメント]
最近ではほとんど見かけなくなりましたが、昔は子どもたちが相撲をして遊んでいる光景はどの町にもありました。現代では相撲は国技という位置づけですが、本書の中では庶民の娯楽としての生命力にあふれた相撲の姿を見ることができます。ぜひご一読ください。
[著者略歴]
小林 基芳(こばやし・もとよし)
一九三二年生。信州大学教育学部卒業。
専攻は近世史。前歴史民俗資料調査員。著書『中山道筋千曲川川越しものがたり』『中津村に塩名田節さんざめいて』(浅科村教育委員会)。『中山道信濃二六宿』(信濃毎日新聞社)。『佐久市志』『御代田町誌』『佐久町誌』の近世編など分担。
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