日本人基幹二系民族論による『卑弥呼の国』のその後
(著) 冨川光雄
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本稿は平成十年、あの大和の黒塚古墳から大量の「三角縁神獣鏡」が出土した直後から着手して以来、「卑弥呼の国」Ⅰ──Ⅲとして三年間、三回にわたって広島での「同人雑誌『凾(はこ)』」に連載したもので、その当初から急流となりそうな「邪馬台国論争」にも、私なりの条件で対応するために追跡追加可能の形態を意図して構想したが、一冊の本として発表するまでには時間や経費の問題など現実的事情もあって今日まで延びてしまった。
それに、今日このような問題をめぐる環境は、日々進化し深化する昨今の知的技術と情報の条件、発掘の状況などによって月月にも変わりうるほどのものがあり、二年三年の間にもみるみる色あせて行きかねない部分もあった。ことに人力を動員出来た「発掘」などによる「物証」の力は依然として他を圧する勢いがあり、その大量の発掘物は「マスコミ」の威力と共にその都度それまでの歴史を書き直すほどの勢いになることも多かった。
しかし、例えば「卑弥呼の国」Ⅲの発表後、今日までの間には「ホケノ山」や「勝山古墳」の発掘などもあって大和に注目が集まったが、それらも「年輪測定法」による「古墳時代」の繰り上がりが一層確実になったという事実を補強するばかりで、私の「卑弥呼の国」の大筋には何ら変化はなく、むしろ「纒向」や「箸墓」はますます注目されるばかりであった。
【著者プロフィール】
冨川 光雄(とみかわ・みつお)
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