教育戦争‐教養主義的人格・階級の創造及び教養国家の建設

(著) 田中久昭

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作品詳細

[商品について]
―理想なき教育は「社会の死」を加速させる―
真の教育においては、子供たちは、家族や社会の中でゆっくりと、確実に人格を育て上げながら、やがて社会の後継者として成長していく。しかし徐々に社会に蔓延していった無関心と近代以降に跋扈している短絡的な観念は、人としての成長の時間性を無視し、この国から真の「教育」を追放しようとしている。
本書は、前作『教育直語』に続き、そうした日本の現状を憂慮し、社会は子供たちにとって豊かな学びの土壌であって、長い時をかけて引き継がれ、未来へと引き継いでいくものであるという自覚を呼び起こすと共に、迷走する今日の社会を招いたものを大衆の意識から解きあかす意図をもって書かれた「教育戦争」の書である。
教育と政治の分離を排し、国家百年の計たる教育の方位を明示する本書は、日本の将来を遠望する上で示唆に富む内容となっている。

[目次]
「序」
(第一部 教養主義的世界観)
第一章 教育戦争の初期
一 日本の現代史概観
派手な外装
神話が横行し「個人」は分解する
事業の放逐が招いたもの
二 歴史的展開
神をも恐れぬ強力たる教育の排撃
支配リベラリズムの発生
三 現代史の方向舵
学的党派としての教養主義的階級
隠蔽された諸権力の構造
反権力的大権力
四 教育戦争の初期
現代革命理論の扼殺
看板の掛け替え
出自の思想的頽廃
教育からの反攻
教育戦争の初期
第二章 人間観戦争
一 市民的個人主義と民族教養的人格
民族的悪寒
民族的達成
[二〇〇九年の補足]
社会的かつ教養的人格、そして民族教養的人格
超克すべきは民族主義ではなくリベラリズムである
二 人間観の歪曲とその救済
近代市民主義による人間観の歪曲
市民的個人観念の行き着く先としての原始海洋もしくは墓場
社会変革の核たるべき思想性
個人観論註
第三章 世界観戦争
一 いかなる世界観を拒絶し、いかなる世界観を構築し得るか
教養的人間への成長を媒介する社会の建設
まず世界観を
教養主義的世界観の確立を阻止するソフト世界観宣伝勢力
ボランティア論補遺
二 社会永続を支える世界観
社会永続の構想
精神の闇取引
世界観的措置による危機の克服
三 世界観構築のための教練
●一 ヒューマニズムが国民を全滅させる。
●二 構造主義は戦わない思想である。
●三 ポストモダニズムは構造主義の別称でありかつ別動隊である。
●四 個別化もしくは単子化主義
●五 人権はいまやファシズムとしてしか現象し得ない
●六 環境の原理は単純明快である。
●七 「組織よりも個人」と叫ぶ反組織の主張は組織的に行われている。
●八 非行は個性重視の果てである。
●九 夫婦別姓の喧伝は国民の細分化運動である。
●十 ビッグバン説は宇宙観の偽造である。
●十一 今様末法思想が独り歩きする。
(第二部 教養階級の創造)
第四章 学校奪還
学校奪還は両義性の止揚から始まる
学校の社会的有為性
精神の戦役
イデオロギー教育の精粋
教科学習の復権を
学校内部の敵との戦争
学校戦争を担う者=私学校党
第五章 日本教養階級の創造
一 「教養」を否定するインテリゲンツィアを駁撃す
痛哭
教養階級とは何か
尚武のこころ
二 教養階級は「綱領」を有す
教養階級の創出
私学校党『宣言』
私学校党『綱領』
私学校党綱領『解説』
第六章 教育一元化戦争
迷妄一掃
いわゆる「教育改革」に潜む敵の欲望を挫こう
平等否定の墓場
人間回復は集団回復と同義である
「画一性」の抹殺が結果するもの
原理論的決着
百年の天敵(教師たらんとする友の絶望に答うⅠ)
政教一致(教師たらんとする友の絶望に答うⅡ)
教育は政治である(教師たらんとする友の絶望に答うⅢ)
私学校党員(教師たらんとする友の絶望に答うⅣ)
ネーション(生活体国家)の浮上
[論註]ネーション(生活体国家)
(第三部 教養国家の建設)
第七章 反・ソフトシステム戦争
国家社会改造の抹殺を謀るリベラル派の制度イデオロギー
現代王者普遍主義派を殲滅しよう
人権の歴史過程
自由の衣
個性の衣
個性の衣を引き剥がし個性主義派の野心を挫け
反・ソフトシステム戦争
ビッグバン神話(経済版)を撃て!
発狂リベラルのステレオタイプ
支配ソフトシステムを捕捉・打倒する
第八章 国家観戦争
一 教養主義的国家観
国家の変節‐国民創生の理想から国民壊滅のマニュアルへ
教育の目的=基礎的基本的学力とは国家社会改造の教養自体である
基礎的基本的学力註釈
国家論の把持
国際主義の否定
民衆の墓場としての反国家・反社会思想
二 国家の捕捉と改造
国家原理
形式民主主義的代議制度の魔
国力論
教養階級による国家の捕捉および最後の国家としての教養国家への転化
国家改造戦争教程(私学校規準)
国家観の去就
政治としての戦争及びわが国軍建設
日米安保条約の虚妄
第九章 教育戦争
一 イデオロギー教育
知識・教養の敵
裏切られた教育
恥辱の文学=大岡信小論
イデオロギー教育の復権
教育の難問は科学が決着する
不登校伝説の捏造[正しくはデツゾウ、俗にネツゾウ]
二 戦争のできる思想
ふたたび世界観
戦争のできる思想
教養なき教育論の失墜および戦争のできない思想の撲滅
個性や自主性を強要して頭脳を矮小無化しようとする教育解体派の手法
昔左翼今発狂派代表たる芹沢某の正体
発狂派の論理的帰結としてのオウム擁護論を撃沈する
(第四部 激闘)
第十章 教育戦争の未来
一 法と共同体の未来
やつらを高く吊るせ
イヌ的「法」を捨てよ!
世界人権への警鐘
共同体を一色に染めよ!
支配的原理の解体
日本の教養
二 将来の原因たらん
青少年悲話
死者が現在を照らし未来を暗示する
最後の青少年論
凡百の「鋭い指摘」を放擲し「将来の原因」たらんとす
三 審判
偉大であろうとする精神
最後の核実験論
最後のアジア論(インドネシア小論)
四 自立の思想を超えて
最後の吉本隆明(吉本隆明小論)
吉本自立思想の始末
[結語]
「作品の趣旨」(後記)

[出版社からのコメント]
一昔前の「ゆとり教育」や、コロナと共に盛んに言われるようになった「新学期開始時期の変更」など、これまで実行され或いは議論されてきた教育問題は、「子供たちをいかに育てるか」という点において、本質から外れていると感じている方もいるかも知れません。学校を教育工場のように考え、社会全体が子供を育てていくという視点が欠けていることにも要因があると感じます。本書の教育論を通じて、生き方や社会のあり方について考える機会を持っていただければ嬉しく思います。

【著者略歴】
田中 久昭(たなか・ひさあき)

愛媛県生
早稲田大教育学部国文科出身
香川県、愛媛県にて小・中・高教職歴任

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