戦時下のヨーロッパ : ある外交官一家の手記

(著) 齋田暢三

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[商品について]
―第二次世界大戦下のヨーロッパを過ごした、ある日本人外交官家族の記録―
1938年、小学1年生だった私は、外務省商務官の父に連れられてパリへと渡った。静かに戦争の足音が聞こえてくる時代の中で、やがてパリはドイツの手に落ち、私たち家族はめまぐるしく移り変わる戦況に振り回されながら、生き延びるためにヨーロッパを転々とすることとなる——上階でドイツ兵の起床の笛の音が聞こえるアパルトマン、日本語を教えてもらったローマの修道院、兄の死、アメリカでの抑留生活など、戦時下にあった激動のヨーロッパを生きた日本人外交官一家の日々を当時の日記や資料から描き起こした、貴重な歴史の証言記録。

[目次]
プロローグ
出国―パリへ
大戦前のパリの暮らし
戦時下のフランス
ヴィシー政権
イタリア、ローマでの生活
1942年占領下のパリ
ローマでの夏期休暇
パリに続きローマからの引き揚げ
日本とドイツの交流
兄の死
1944年再びパリ
対独抵抗運動(レジスタンス)
1944年パリ脱出記
都市爆撃とV兵器
ブリュケンベルグ
最後の逃避―南独への脱出
バート・ガスタイン―ドイツの敗戦まで
バート・ガスタイン―抑留生活
アメリカへの移送
原子爆弾
ベッドフォード・スプリングス―アメリカでの抑留生活
日本への帰還
帰国して
あとがき
参考資料
関連年表
ともに歩いて
著者略歴

[担当からのコメント]
大戦中のヨーロッパにいた日本人たちの様子がどうであったのかということについて、あまり資料が多くない中で、本書は外交官一家の目線で見た貴重な記録になるだろうと思います。映画にしてもいいのではと思える面白さを持つ本書、ぜひ手に取ってご覧ください。

[著者略歴]
齋田 暢三

1931年 名古屋生まれ。1938年 渡仏。
1945年 敗戦により米軍に拘束、アメリカ経由で帰国。
1956年 早稲田大学卒業。
1958年 東京工業大学修士課程修了。
同年 防衛庁技術研究所(空力研究室)技官。
1964年 東京工業大学助手、1968年工学博士。
1971年 青山学院大学(流体力学研究室)助教授、
1972年 同教授。2000年3月定年退職。
現在に至る。

文中装画=斎田敦子(A.S)
文中装画=岩橋真理(I.M)

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