戦争に追われた子供たちーー下飯田国民学校学童疎開の記録

(著) 谷口宰

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作品詳細

[商品について]
―家族、友人、そんな子供のささやかな繋がりさえも戦争は奪っていく―
太平洋戦争末期、悪化の一途を辿る戦況の中で、政府はそれまでの縁故疎開に加えて集団での学童疎開の実施を決定した。縁故でも残留でもなく集団疎開をすることを決めた著者は、夏休み最中の8月11日に第一陣131名の一人として疎開先の愛知県中島郡大和村妙興寺に向けて出発した。ホームシック、慣れない環境、体調を崩し縁故疎開へと切り替える学友たちーー満足に整わない勉学環境と乏しい食料、激しさを増す空襲、そして明日への不安の中で過ごした「下飯田国民学校分教場」のありのままの日々を、自身の記憶と体験、当時の手紙をもとに綴った記録。

[目次]
はじめに
第1章 学童疎開はなぜ始まったのか
太平洋戦争の勃発
本土空襲と学童疎開の決定
第2章 下飯田国民学校の集団疎開
出発
集団疎開寮生活のはじまり
母恋し
集団疎開生活の日課
妙興寺
老師様
おっ様(修行僧、雲水)
写生会
航空記念日
後続集団疎開組の到着
ドッジボール大会
木曽川の水泳場
句会
レンコン掘り
慰問
①演芸会
②講談
③映画と紙芝居
④映画劇場
大詔奉戴記念日
疎開児童励ましの皇后陛下の御歌
正月のお雑煮
手紙の検閲
窮すれば
①ドジョウ
②イナゴ
③イチイ
④サツマイモ
⑤スイカ
⑥ソカイライスとミカン
⑦肝油
世にも不思議な話
①宮崎先生
②日の丸敵機
③ギンナン
④禅堂の障子戸
⑤正夢
⑥疎開便りの放送
⑦姉の葬儀
⑧タマゴがトーフになった
大地震
下飯田国民学校疎開学童の新聞記事
その他の思い出雑記
①スズメバチ
②池の丸太
③墓石の水鉢
④飛行機の写真
⑤体育競技
⑥剣道
⑦ヒゼンダニ(疥癬虫)
⑧真清田神社
⑨モリちゃん
⑩妙興寺農家の産物
⑪妙興寺そば
舎利拝観
疎開からの帰宅
卒業式
第3章 私の集団疎開
縁故疎開への転向者続出
真意の手紙の説明
①八月十一日(金曜日)
②八月十二日(土曜日)
③八月十三日(日曜日)
④八月十四日(月曜日)
⑤八月二十一日(月曜日)
⑥八月二十二日(火曜日)
⑦九月十五日(金曜日)
⑧九月二十六日(火曜日)
⑨十月三日(火曜日)
⑩十一月二十日(月曜日)
⑪十一月二十一日(火曜日)
⑫十二月三日(日曜日)
⑬十二月七日(木曜日)
⑭十二月十四日(木曜日)
⑮十二月二十日(水曜日)
⑯十二月二十四日(姉からの手紙の一部)
⑰十二月二十四日(弟への検閲時手紙)
⑱二月一日(木曜日)
⑲二月十八日(日曜日)
「白」と「黒」
動揺
解けない梃子(てこ)の問題
確執
終焉
巣立ち
妹ふゆ子の手紙
おわりに
あとがき
付録 飯田国民学校の卒業式
お礼の言葉
[著者略歴]

[担当からのコメント]
本書を読んでいると、戦争をするということは外ならぬ「自分」の頭上を砲弾が飛び交うということなのだと改めて思わされます。疎開という子供の視点から見える戦争の現実を、私たちはもっとよく知る必要があります。そのための一助として、本書を多くの方にご活用いただければ嬉しく思います。

[著者略歴]
谷口 宰(たにぐち・つかさ)

1932年、名古屋市北区生まれ
1956年、名古屋大学経済学部卒業。金融機関に勤務
1985年、退職

著書に『古里下飯田 前の川跡路散策』(栄工社、1992年)
『古里下飯田 和宮様御下向ニ付諸事留帳』(朝日新聞名古屋本社企画事業部編集制作センター、2004年)

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