幕末、フランス艦隊の琉球来航 : その時琉球・薩摩・幕府はどう動いたか【電子書籍版】

(著) 生田澄江

Amazon

作品詳細

[商品について]
―ペリーばかりが黒船ではない―
1844年4月28日、フランスのデュプラン大佐率いる軍艦アルクメーヌ号が、那覇港外に投錨した。それは清国と日本の中間にある琉球が今後の戦略・貿易上の基地として最適であると判断したセシーユ提督が、琉球諸島へ差し向けた分遣隊であった。この来航は、琉球を支配していた薩摩藩と、薩琉関係を清国及び諸外国に隠蔽してきた琉球王国という特殊事情の矛盾点を浮き彫りにし、薩摩藩と幕府に薩琉関係の在り方を見直そうという姿勢を生むきっかけとなった事件であった。本書は、このペリー以前に起こったフランス艦隊の琉球来航事件について、これまであまり触れられることのなかったフランス側の背景を明らかにしながら事件を再検討するとともに、日清両属の状態にある琉球が日本の属国であることを明確にすべく、薩摩・幕府の両者が模索を始める過程を明らかにするために、琉球・薩摩・幕府という三者それぞれの視点から分析を試みた作品である。

[目次]
はじめに
一 フランス艦隊の第一次来琉
1 フランス艦隊来琉の背景
2 和好・通商・仏人滞琉要求
3 フランス人〝通事〟の上陸経過
4 宣教師フォルカードの上陸後の動向──格外保護のすすめと布教要求──
5 薩摩藩の琉球派兵と琉球王府
二 イギリス艦船の来琉
1 イギリスと琉球
2 ベッテルハイムの来琉事情
3 ベッテルハイムとイギリス──来琉イギリス艦船の態度──
三 フランス艦隊の第二次来琉
1 セシーユ提督の来琉──運天港へ──
2 琉仏交渉の経過──突然の出航──
3 交渉不成立の要因
四 幕府・薩摩藩・琉球王府の対応
1 阿部正弘と島津斉彬の琉球開港策
2 琉仏貿易に対する琉球当局の態度
3 滞琉仏英人対策──薩琉関係表面化の懸念──
結び
おわりに
著者紹介

[出版社からのコメント]
島国である日本は、その長い歴史の中で幾度となく緊迫した国際関係に直面してきましたが、現代の私たちがそうした歴史から学びを得るためには、あらためて日本史を世界史の中に位置づける必要があるのではないかと思います。本書がそうしたアプローチで考えるための一助として、多くの方にご活用いただければ嬉しく思います。

【著者紹介】
生田 澄江(いくた・すみえ)

法政大学大学院人文科学研究科日本史専攻修士課程修了(日本近代史専攻)

論文
「『捕影問答』にみる大槻玄沢の対外認識──オランダ情報との関連において──」(『法政史論』18号、1911年)
「永井繁子のヴァッサー・カレッジ留学」安岡昭男編『近代日本の形成と展開』(巌南堂書店、一九九八年、所収)
「ヴァッサー・カレッジにおける永井繁子──彼女の学んだ19世紀後半の西洋音楽──」(『法政史学』50号、1998年)
著書
『舞踏への勧誘──日本最初の女子留学生 永井繁子の生涯──』(文芸社、2003年)
『近現代日本人物史料情報辞典3』所収「瓜生繁子」のすべての紹介(吉川弘文館、2007年)
『瓜生繁子──もう一人の女子留学生──』(文藝春秋企画出版部、2009年)
明治維新史学会、全国歴史研究会会員

新刊情報