哲学的エッセイ集
(著) 藤田昇吾
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―借りものではなく、自分の哲学で考えるために―
混迷を深める世界を生きるためにいま私たちに必要なもの、それは「自分の哲学」を持つことです。カントが言ったように、哲学を学ぶことは「哲学すること」を学ぶことに他ならず、その先にある自立的な思考にこそ意味があります。そのために本書では、小論という形をとりながら多彩なテーマを採りあげつつ、「哲学すること」を学ぶためのヒントをお伝えしていきます。手始めに人間の本性は善か悪かの問題を人間形成の過程が問われる「性無記説」から考察し、私たちの日常にも溶け込んでいる「運命」に人の意志はどう対峙してきたかを思想史の流れを追いながら概観し、神や自由、哲学の社会的位置づけにも目を向けて思考を展開していきます。学部生や大学一般教養課程の方はもちろん、世の中の諸問題を自分で考えたい人にも示唆に富んだ哲学小論集です。
[目次]
はじめに
哲学的人間本性論 ―性無記説、性善説、性悪説―
§1.倫理的価値観の発生と形成
§2.性無記説
§3.性 善 説
§4.性 悪 説
必然と自由――運命と意志
はじめに
§1 運命の不可避性
§2 契約と運命
§3 信ずる意志(注29)
お わ り に
(注)
――故 野田修君を偲んで――
神に自由なし、人間に自由あり
「自分の哲学」とは?
国境の島・対馬と雨森芳洲
「堪ヘ難キヲ耐ヘ…」
哲学思想の社会的位置づけ
パラダイム シフト(paradigm shift)
あとがき
[担当からのコメント]
哲学というと抽象的で難解な学問というイメージがつきまといますが、本書を読んでいただければ哲学(とりわけ倫理学)は常に私たちのリアルな日常に分け入ろうとしていることがお分かりいただけるのではないかと思います。自分で考え判断するためのヒントとして、多くの方に本書をご活用いただければ嬉しく思います。
[著者略歴]
昭和14(1939)年3月1日大阪市生れ。
昭和20(1945)年3月13〜14日の大阪大空襲で焼き殺される苦しみを実体験する。生命だけは助かって、母の実家があった香川県(善通寺市与北町=現在地名)へ避難した。8月終戦を迎え、軍隊中心の社会が一変し、身分的、経済的、思想的な激烈な急変を体験し、子供ながら種々の疑念をいだきながら、食糧不足など生活苦の日々を送る。
学校へ行って先生の言うことが変々とする。「教科書に墨を塗る」という体験はないが、その類のことは数多くあった。
永久不変の真理はあるのか、という哲学的発想が高校生の頃には芽生えて、それが今日まで続いている。
昭和36(1961)年4月 京都大学文部入学
昭和40(1965)年4月 同大学院哲学専攻入学
西洋近世哲学思想を研究
昭和49(1974)年4月 大阪教育大学専任講師
──1982〜1985の間、数度米国ロチェスタ大学のL. W. ベック先生に師事してカント中心に哲学思想史を教わる。「哲学は理論でなく思想である」が先生の中心教義である。
平成16(2004)年3月 大阪教育大学定年退官、現在名誉教授
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