写真でみる昭和の沼津100景――その町並みが写す戦後の日本と人々の暮らし

(著) 瀬川裕市郎

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作品詳細

[商品について]
―写真で見る風景考古学―
昭和20年に米軍機の空襲を受け灰燼と化した沼津の町は、半世紀を経て見事に復興した。本書は、沼津に生まれ育った著者が、子どもの頃に遊び親しみ、時代と共に変わっていったその風景を、多くの懐かしい写真と共に綴った作品である。かつての面影を残す沼津の自然と変貌した街並みや人々の暮らし、そして戦後の時代の空気を知るうえで、格好の一書となっている。

[目次]
はじめに
カラーで見る沼津の今昔
大手町の戦災と復興
駅ロータリーは整備された
モダンになった駅北口
市場町からの上土町の景観
戦災と復興
上土町の戦災と復興
西武百貨店進出前の駅前通り
西武百貨店進出で駅前も変容
駅とその周辺
機関区とキラメッセ
南北を結ぶ中央ガード
駅南口と北口を結ぶ
市制30周年頃の駅前広場
三つ目ガードは短く高く
原駅も一〇〇年を迎えた
蛇松線は静岡県初の鉄道
中心部商店街の移り変わり
大手町場外車券売り場
大手町国道南の商店街
仲見世商店街入口
アーケード完成以前の本通りの夜景
ビックリ通りがアーケード街に変身
センター街以前の上土商店街
建築中のセンター街
東急が進出しセンター街は変わり始めた
有明軒から十字屋へ
活気のあった仲見世商店街
本町は沼津を代表する商店街だった
大坂屋は学習塾になった
長倉ガラス店はナティーに
中泉株式会社はサンフロントに
一番館は歓楽街の入口
リコー通りは北口の花形
町並みと通り
駅前通りとNTT
城の片端にできた町並み
三園橋の交差点も変わった
沼津宿は三枚橋からスタートした
魚町は始めウラ町だった
狩野川と魚町東側通り
新町の道も広がった
下河原が「沼津」だった?
三枚橋の交差点
三枚橋の旧国道一号線通り
城内洋裁学校は城の喰違門あたり
旧公会堂から第一小学校方面を見る
駅北中央ガード西側は飲食街に
沼津商業高等学校は隣町へ移った
市場町に高層マンション出現
日吉廃寺は奈良時代の寺
長塚古墳周辺に住宅が並んだ
獅子浜の埋立地に町並みができた
埋め立てと木負の村
東海大学と平沼の変貌
橋と港
沼津港の変貌
御成橋
永代橋
三園橋
黒瀬橋
復活した我入道の渡し
公共の施設と建物
旧裁判所
旧県税事務所
市営水族館と市営プール
旧市立病院
旧市役所
旧警察署
東電は西側に営業センターを建てた
旧商工会議所
旧御用邸本邸正門
旧消防本部
旧郵便局
旧市公会堂と南消防署
旧図書館と文化会館
旧田町分院
旧沼津東高等学校
建設中の県立原町沖団地
道路とバイパス
雑木林だった二四六号線バイパス
国一バイパスは大混雑
対面通行だった国一バイパス
町並み遠望
町中から香貫方面を見る
永代橋から見た川廓方面
香貫山から見た上香貫方面
香貫山から見た中原町
香貫山から石田・自由ヶ丘方面
香貫山から見た我入道方面
自然を変える
千本浜に防波堤はなかった
西郷島と静浦漁港
大久保の鼻の変貌
懐かしの映画館
鞍馬天狗の沼映
シェーンの文化劇場
青い山脈の第一劇場
任侠映画の東海劇場
後半はポルノも上映した銀星座
夏休み子供劇場の宝塚
ターザンはセントラル劇場
沼津方式の市民運動
石油コンビナート反対運動
千本浜埋め立て反対運動
我入道新港反対運動
狩野川台風の被害と水害
暮らしのひとこま
湿田の農作業
三浦の漁業
川釣りと磯釣り
思い出の街角
写真で見る沼津昭和年表
おわりに・協力者・参考資料
著者紹介

[出版社からのコメント]
東京を例に挙げるまでもなく、日本の町の多くは戦後急激に様変わりして、現在の風景から往時をしのぶことは難しくなっています。時と共に生活も町も移り変わるのは世の常とはいえ、何がどの様に変わっていったのかを知ることは、町のあり方や人の生き方を考えるうえでとても大切なことなのではないかと思います。本書を通じて、沼津はもちろん、かつての日本の風景について目を向ける機会を持っていただければ嬉しく思います。

【編著者紹介】
瀬川 裕市郎(せがわ・ゆういちろう)

1939年6月、沼津市に生まれる。沼津商業高等学校から明治大学に進み、考古学を学ぶ。
2000年3月、沼津市歴史民俗資料館を定年退職。
現在、日本考古学協会員、静岡県考古学会代表委員

静岡県史・御殿場市史・裾野市史など一部執筆
「愛鷹山麓の旧石器時代遺跡の構造」(県史研究 七)、
「縄文時代の愛鷹山麓(沼津市博物館紀要 十)など

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