ミシェル・フーコーの思想的軌跡 : 〈文明〉の批判理論を読み解く:改訂版
(著) 中川久嗣
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―現代文明の岐路でフーコーの仕事は再び大きな輝きを放つ―
『狂気の歴史』に始まる一連の著作で現代思想に大きな潮流を作ったフランスの思想家ミシェル・フーコー。その類まれな知力で人文科学の広大な領域を渡り歩き、歴史という広大な土壌に豊かな哲学を実らせたフーコーの思想は、一方であまりに多彩なテーマとテクストの難解さゆえに首尾一貫した理解を今なお許さない複雑さを持っている。本書は、フーコーの代表作といえるいくつかのテクストを追いながら、この偉大な知の巨人の思想の中にある普遍的な要素を取り出し、「批判理論」ともいうべき一つの理論的構築を試みようとするものである。『狂気の歴史』『言葉と物』『知の考古学』など、深い森を歩くようなテクストを切り拓き、その中にある新たな思想的可能性と「文明論」としてのフーコーの思想に光をあてた刺激的な知と探究の論考。
[目次]
はじめに
第一章 『狂気の歴史』と思考の可能性 ――フーコー・デリダ論争をめぐって
一 『狂気の歴史』とフーコー・デリダ論争
二 デカルトの『省察』とデリダによるフーコー批判
三 省察のプロセスと狂気の排除/神の存在証明をめぐって
四 沈黙の考古学
五 テクストの「外」と他者の問題
六 おわりに
第二章 『言葉と物』における他者の思考について
一 『言葉と物』をめぐって
二 同一者の思考
三 表象の秩序から時間の秩序へ
四 思考されぬものとしての他者
五 他者の思考
六 われわれ自身の存在論
第三章 『知の考古学』における言表/言説の実定性について
一 「実定性」の概念
二 言表/言説について
三 ドレイファスとラビノウのフーコー批判
四 外在性――他者の力
五 力の考古学から権力の系譜学へ
第四章 『知への意志』から『快楽の活用』へ
――フーコーの「自己の倫理」の問題系と「権力-知」批判
一 自己の倫理の系譜学
二 自己との闘い
三 自己の支配と他者の支配
四 権力-知
五 西洋文明の同一性
第五章 ローマ帝政期における自己への配慮と批判的知の問題
――古代倫理をめぐるミシェル・フーコーの比較研究について
一 『快楽の活用』と『自己への配慮』
二 ローマ帝政期の自己認識
三 ローマにおける批判的自己認識
四 ストア派へのまなざし
第六章 ミシェル・フーコーの批判理論 ――いわゆる規範的問題をめぐって
一 批判的思考の立場
二 オルターナティヴの欠如?
三 自己からの離脱
四 他者への侵害――認識の力と罪
第七章 ミシェル・フーコーの比較文明論 ──境界からの批判的思考の可能性について
一 前期――エピステーメーとアルシーヴ
二 後期――権力システムとしての文明
三 比較の視点
四 境界と批判
注
あとがき
著者紹介
[著者紹介]
中川久嗣(なかがわひさし)
1961年京都府京都市生まれ
立命館大学文学部卒業
東海大学大学院文学研究科博士課程後期修了
東京理科大学、東海大学非常勤講師などをへて、現在は東海大学文化社会学部ヨーロッパ・アメリカ学科教授
博士(文学)
専門はフランス思想、フランス文化論
主な著作は、『他者の風景』(共著、批評社、1990年)、『〈ありうべき世界〉へのパースペクティブ』(共著、東海大学出版会、2011年)、「フーコーの『知の考古学』における言表/言説の実定性について」(『哲学』、日本哲学会、第49号、1998年)、「The Subject and the Will to Knowledge in the Work of Michel Foucault.」(東海大学紀要文学部、第84号、2005年)、「ローマ帝政期における自己への配慮と批判的知の問題―古代倫理をめぐるミシェル・フーコーの比較研究について」(『比較文明』、比較文明学会、第22号、2006年)など
2014年頃からはフランスの地域文化史、とりわけ中世南フランスのロマネスク聖堂の歴史に調査・研究のウエイトを移している。
個人で開設しているウェブサイトは http://nn-provence.com/
[担当からのコメント]
たとえば『悲しき熱帯』のレヴィ=ストロースがそうであったように、フーコーのテクストもどこか文学的な香りを漂わせていて、初めて『狂気の歴史』を読んだときにはその冒頭から驚かされたことを思い出します。熟成されたウイスキーを愉しむようなフーコーのテクストをどのように読み解くのか、ぜひこの知の冒険をじっくりとお楽しみいただければ嬉しく思います。
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