くじら山をつくった男・朝倉篤郎 ― 都政・市政の革新に奮闘した「時代の証言者」たちの記録

(著) 木村陽治

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作品詳細

[商品について]
―同じ思いをしている人々の心にひびく政治を目指した、その思想と人生―
青春期に「50年問題」の混乱期を過ごし、ときに超党派の結束を生み出すなど都議会で大きな存在感を持って仕事をした政治家・朝倉篤郎。戦時中は軍国主義に燃えていた少年は、いかにして共産党に足を踏み入れ、後に日本共産党の名誉役員となったのか――福祉や公害、農政などの問題に先見の明をもって取り組み、「くじら山」をはじめ持ち前の機転で市政や都政に貢献したその仕事と思想を、党員としてその背中を見続けてきた著者が本人や周囲の人から聞き取りまとめた半生記。

[目次]
第一章 青春時代 恋と革命
十七歳の戦争体験 ~土浦海軍航空隊員として
四人兄弟の末っ子 ~母子家庭で育つ
軍国少年、特攻精神で共産党へ ~「がんばっている仲間に入らなければ」
吉祥寺駅前で「アカハタ」売り ~獣医学校に党支部をつくる
青年共産同盟オルグとして ~北海道で活動、病に倒れる
朝倉知加子と出会う ~知加子の生い立ち、知加子のたたかい
知加子も青年共産同盟のオルグとして
共産党非公然活動下での文書連絡活動
ふたたび北海道へ ~今度は文化分野での活動に参加
知加子もまた、北海道へ ~……ところが
ようやく共産党の統一回復へ ~篤郎と知加子結婚披露へ
党分裂の真相を知って ~篤郎「特攻精神」から脱却を決意
第二章 酪農研究者として立つ
獣医資格を失っていたことがわかり、板橋区・浅倉牧場で実践的に学びなおす
「あばれ牛の搾乳」名人? ~土浦の酪農組合で働く
青森県下の単位農協を酪農経営について講演して回る
雑誌「酪農事情」編集長として腕をふるう
動物薬製造の「協同製薬」の経営をたて直し専務となる
第三章 革新都政と革新市政とを結んで
ひょんなことから、小金井市議員選に立候補
先輩 西田光作議員のこと
「朝倉君に緊急質問させろ」 ~超党派の議員が要求した
住民から学んだ「水道料金値上げ」反対運動
三多摩中部群委員長を兼ねる
知加子 指圧師になる
やっと家を持つ
三多摩初の、唯一の、共産党都議会議員となる
都議会初質問は「水道一元化」
知事との教育論議で実現した「小規模高校」
市移管第一号となった「都立小金井保育園」
今も営業している都確保浴場第一号「小金井貫井浴場」
提案が実った植木・苗木の生産委託事業
三多摩の革新市政 ~九市一括協定のころ
革新市長の悩みを解決するなかで、「くじら山」がつくられた
土地代を都に肩代わりさせて市立公園も
三多摩じゅうから声がかかる ~桧原村でのバス延伸
日の出町 セメント工場の粉じん公害を解決
府中 カドミ汚染の稲作に保証
青梅 自衛隊施設問題も
立川 矢川の清流を守る
篤郎 ふたたび喀血する
「大丈夫」論で落選を喫す
バッチのない議員 逆転の発想で解決 ~「流域下水道幹線を上流からつくる」
第四章 鈴木都政下での論戦とその後
勤労福祉会館が「都立」で残った
「江戸豚」と「東京しゃも」を誰が食べたか
一七二万都民署名を背景に私学助成の充実をせまる
小売業者たちと量販店出店問題で調印式を都庁で行う
都と右翼暴力団の癒着を暴露する
公費で飲み食い「廃止」の先鞭をつける
国分寺鉄道学園跡地を都に買収させる
議案提案権の活用を全都の議員団にひろげる
国分寺革新市長の「行革」を大衆的意見で変更させる
小泉民嗣地区委員長に聞く
忘れえぬ人 朝倉篤郎の回想
名寄郵便局の青年共産同盟員 簑島君
北海道庁※細胞の松浦さん
熊倉義城さん
岩崎博さん
久保俊造さん
上田耕一郎さん
あとがき
著者略歴

[担当からのコメント]
現場に足を運んで市民の声を聞きそれを政治に反映していくというのは、政治家として最も基本的なことですが、それをやり続けるのは決して簡単なことではなく、だからこそそうした仕事には価値があるのだと本書は改めて私たちに感じさせます。ダメと思わずに思い切ってやってごらんよ、と文章の向こうから氏の声が聞こえてきそうな、そんな半生記です。

[著者プロフィール] 木村 陽治(きむら・ようじ)
1936年生まれ。1959年より20年間、自治体労働者。その間、都職労中央執行委員など。1981年より6期24年、日本共産党都議会議員、都議団幹事長、団長など歴任。著書に「都政エッ!セイ」など。
[商品について]
―同じ思いをしている人々の心にひびく政治を目指した、その思想と人生―
青春期に「50年問題」の混乱期を過ごし、ときに超党派の結束を生み出すなど都議会で大きな存在感を持って仕事をした政治家・朝倉篤郎。戦時中は軍国主義に燃えていた少年は、いかにして共産党に足を踏み入れ、後に日本共産党の名誉役員となったのか――福祉や公害、農政などの問題に先見の明をもって取り組み、「くじら山」をはじめ持ち前の機転で市政や都政に貢献したその仕事と思想を、党員としてその背中を見続けてきた著者が本人や周囲の人から聞き取りまとめた半生記。

[目次]
第一章 青春時代 恋と革命
十七歳の戦争体験 ~土浦海軍航空隊員として
四人兄弟の末っ子 ~母子家庭で育つ
軍国少年、特攻精神で共産党へ ~「がんばっている仲間に入らなければ」
吉祥寺駅前で「アカハタ」売り ~獣医学校に党支部をつくる
青年共産同盟オルグとして ~北海道で活動、病に倒れる
朝倉知加子と出会う ~知加子の生い立ち、知加子のたたかい
知加子も青年共産同盟のオルグとして
共産党非公然活動下での文書連絡活動
ふたたび北海道へ ~今度は文化分野での活動に参加
知加子もまた、北海道へ ~……ところが
ようやく共産党の統一回復へ ~篤郎と知加子結婚披露へ
党分裂の真相を知って ~篤郎「特攻精神」から脱却を決意
第二章 酪農研究者として立つ
獣医資格を失っていたことがわかり、板橋区・浅倉牧場で実践的に学びなおす
「あばれ牛の搾乳」名人? ~土浦の酪農組合で働く
青森県下の単位農協を酪農経営について講演して回る
雑誌「酪農事情」編集長として腕をふるう
動物薬製造の「協同製薬」の経営をたて直し専務となる
第三章 革新都政と革新市政とを結んで
ひょんなことから、小金井市議員選に立候補
先輩 西田光作議員のこと
「朝倉君に緊急質問させろ」 ~超党派の議員が要求した
住民から学んだ「水道料金値上げ」反対運動
三多摩中部群委員長を兼ねる
知加子 指圧師になる
やっと家を持つ
三多摩初の、唯一の、共産党都議会議員となる
都議会初質問は「水道一元化」
知事との教育論議で実現した「小規模高校」
市移管第一号となった「都立小金井保育園」
今も営業している都確保浴場第一号「小金井貫井浴場」
提案が実った植木・苗木の生産委託事業
三多摩の革新市政 ~九市一括協定のころ
革新市長の悩みを解決するなかで、「くじら山」がつくられた
土地代を都に肩代わりさせて市立公園も
三多摩じゅうから声がかかる ~桧原村でのバス延伸
日の出町 セメント工場の粉じん公害を解決
府中 カドミ汚染の稲作に保証
青梅 自衛隊施設問題も
立川 矢川の清流を守る
篤郎 ふたたび喀血する
「大丈夫」論で落選を喫す
バッチのない議員 逆転の発想で解決 ~「流域下水道幹線を上流からつくる」
第四章 鈴木都政下での論戦とその後
勤労福祉会館が「都立」で残った
「江戸豚」と「東京しゃも」を誰が食べたか
一七二万都民署名を背景に私学助成の充実をせまる
小売業者たちと量販店出店問題で調印式を都庁で行う
都と右翼暴力団の癒着を暴露する
公費で飲み食い「廃止」の先鞭をつける
国分寺鉄道学園跡地を都に買収させる
議案提案権の活用を全都の議員団にひろげる
国分寺革新市長の「行革」を大衆的意見で変更させる
小泉民嗣地区委員長に聞く
忘れえぬ人 朝倉篤郎の回想
名寄郵便局の青年共産同盟員 簑島君
北海道庁※細胞の松浦さん
熊倉義城さん
岩崎博さん
久保俊造さん
上田耕一郎さん
あとがき
著者略歴

[担当からのコメント]
現場に足を運んで市民の声を聞きそれを政治に反映していくというのは、政治家として最も基本的なことですが、それをやり続けるのは決して簡単なことではなく、だからこそそうした仕事には価値があるのだと本書は改めて私たちに感じさせます。ダメと思わずに思い切ってやってごらんよ、と文章の向こうから氏の声が聞こえてきそうな、そんな半生記です。

[著者プロフィール] 木村 陽治(きむら・ようじ)
1936年生まれ。1959年より20年間、自治体労働者。その間、都職労中央執行委員など。1981年より6期24年、日本共産党都議会議員、都議団幹事長、団長など歴任。著書に「都政エッ!セイ」など。

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