いつも幸せを祈ってきたー教師として、夫婦として、そして里親として:思い出のあしあと
(著) 石原興一郎
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―君と出会えて幸せだったよ―
大学卒業後に軽い気持ちで証券会社に入社するも、母の入院を機に実家の果樹園の仕事を継いだ著者は、収入の足しにと水商売の世界にも足を踏み入れながらも、一念発起して高校教師を目指し、出会いに導かれるように鹿児島で教師になった。35年の教職生活の中で巡り逢った人たち、家族、教育という仕事、そして夫婦にかけがえのない宝物をくれた里子タゲーのこと、これまで新聞や冊子に投稿・寄稿した文章にタイの恵まれない子供の里親となった交流の日々を併せまとめた人生回顧録。
[目次]
まえがき
第一部 教育問題にひとこと
第二部 世相を切る
第三部 文集「はばたき」寄稿(抜粋)
1 証券会社・キャバレー・ナイトクラブのボーイ時代
2 里子タゲーとの初対面
3 内モンゴルで植林活動
4 退学した生徒諸君を思う
5 あこがれのチベット旅行
6 「私の林住期」心の遍歴について イスラーム圏(トルコ、エジプト)を旅して
第四部 里子タゲーとの出会い
1 里子タゲーの紹介
2 タゲーからクリスマスカード届く
3 タゲー学校へ戻れず
4 タゲーの懸命な捜索続く
5 タゲー発見される
6 タゲー、プッタカセー校に戻る
7 人身売買の苦難を乗り越えて
8 タゲーのつらい思い
9 「子どもの笑顔に会いに行く旅」へのお誘い
10 プッタカセー校の近況
11 タゲーと会いスミ子への手紙を書いてもらう
12 タゲーからの便り
13 スミ子タゲーと会う
14 タゲーから愛情深い便り届く
15 2008年もタゲーと会うツアーに参加
16 タゲーからの最後の便り
17 タゲー死す
18 2009(平成21)年服喪のあいさつ
あとがき
[担当からのコメント]
本書の中で、里子タゲーとの交流だけは少し色合いが違っているかも知れません。結末が心に残るだけでなく、世界の子どもたちが置かれている現状を考えるという意味でも印象的な内容になっています。教育にはあまり関心がないという方にも、ぜひ読んでいただきたいエピソードです。
[著者プロフィール]
石(いし) 原(はら) 興一郎(こういちろう)
昭和14年5月 熊本市西区花園町生まれ
30年3月 熊本九州学院中学校卒(ミッションスクール)
33年3月 熊本九州学院高校卒(ミッションスクール)
37年3月 熊本商科大学商学部卒
37年4月 光亜証券(株)大阪支店
37年6月 家業(果樹園芸)に従事
37年12月 キャバレー月世界
38年5月 熊本種苗(株)
38年6月 ナイトクラブたそがれ
39年4月 熊本商科大学教職課程聴講
40年4月 県立吹上高校(教諭)
44年4月 県立徳之島高校(教諭)
47年4月 県立大口高校(教諭)
53年4月 県立川内商工高校(教諭)
62年4月 市立鹿児島商業高校(教諭)
平成6年4月 市立国分中央高校(教頭)
8年4月 県立入来商業高校(教頭)
9年4月 県立南大隅高校(校長)
県立南大隅高校佐多分校(兼務)
12年3月 県立南大隅高校定年退職
12年9月 鹿児島西高校(期付教諭)
13年4月 市立鹿児島商業高校(常勤講師)
その他の経歴
昭和42年6月 本山廉子(スミコ)と結婚
63年8月 第70回夏の甲子園大会出場(部長)
平成12年6月 自動車学校入学
13年~21年 タイのストリートチルドレンの里親
16年5月 上竜尾町区長(1回目)
25年~令和元年 鹿児島市「子をつなぐ育成会親の会」会長
令和元年5月 上竜尾町区長(2回目)
3年12月 文集「あしあと」発刊
新刊情報