〝ありがとう、いただきます〟言えてますか?:いのちを見つめる仏教エッセイ集

(著) 小川惠眞

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作品詳細

[商品について]
ー仏教は、いつの時代にも新しい教えをくれるー
生きていく中で、私たちはいつしか「生」を当たり前と思い、「死」を遠い出来事と思ってしまうものです。しかし「生」と向き合うとともに、いつやってくるともわからない「死」を解決してこそ、いのちの本質を見据えることができます。本書は、まさに日々いのちを見据え、それを言葉として発信してきた著者が、浄土真宗の僧侶として心に思うことをありのままに綴った1冊です。
他人を責め立て、自分を守ろうとする人の愚かな心のことや、目の病気をして気づいた光のありがたさ。また、お釈迦さまが残した「唯我独尊」という言葉の本当の意味から、お葬式の本来の在り方まで。今こそ心に刻みたい42のお話がここにあります。

[目次]
命を見据える
〝いのち〟を生きる
〝唯我独尊〟のこと
他力にて候 ──目的の中にあり──
釈迦涅槃絵図のこと
〝生〟におどろく
評論をしない ──われ一人のためなりき──
〝人間らしい〟とは
人間 ──そのすがた──
〝無量の寿〟に生きる
ウサギ小屋
お浄土のある〝いのち〟のいとなみ
後世を知るを智者とす
仏様に認められて生きる
お彼岸 ──布施を行ずる──
縁起の世界 ──勿体ない──
鰯の頭も信心から
慚愧なき者は名づけて畜生となす
お盆参りをおえて
許されて生きる
〝おとりこし〟 ──在家「お取り越し」報恩講──
阿弥陀様の本願 ──成就が南無阿弥陀仏──
〝どんど焼き〟のこと
言葉は人格
続・言葉は人格 ──「思います」のごまかし──
〝いのち〟尊し
お寺まいりのこと ──常例法座──
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 ──七仏通戒の偈──
闘病の記 ──暗闇の中の味──
新年を迎える
往生は一人のしのぎなり ──弥陀の浄土は無量光明土──
法事の挨拶 ──地獄ゆきが仏事をなす──
死刑執行三年四カ月ぶり ──真の自由への道とは──
降誕会
大人を生きる
平生業成 ──現在ただ今の救い──
仏教講座 ──ちょっと のぞいてみませんか──
魔郷には停まるべからず
迷信・俗信 ──六曜のこと──
迷信・俗信 その二 ──笑い話ではありません──
一日のはじまり
お葬式 ──死んで花実が咲くのです──
あとがき

[担当からのコメント]
食事に感謝をすること、真実を伝えるには言葉を大切にしなければならないこと……。本書を読んでいると、仏教の教えはあらゆる面で私たちに大切なことを教えてくれるのだと気づかされます。普段、仏教との関わりをあまり感じることのない人にこそ、ぜひ読んでいただきたいエッセイ集です。

[書評]
いのちは万物に宿る

日常の暮らしから死生観がわかる穏やかな一冊


「いのち」は生き物だけに宿るものではない。
浄土真宗の僧侶が、あらゆるものの死生観を穏やかに説く。
何気ない日常の中で、大事な気づきを与えてくれる一冊だ。


新聞コラムを一冊に凝縮

 大分生まれの著者は、県民体育大会のラグビーの部に連続10回出場したほどのスポーツマン。大分県の青年団の要職も歴任したあと、31歳のときに山口県・光円寺の住職となった。350年以上の歴史がある浄土真宗の寺院で法話を説き、法事を勤める中での気づきや体験から「いのち」とは何か「死」とは何かを、具体例を明示しながら平易に説明してくれる。

 本書は、地元紙に掲載された筆者のコラムを加筆修正した42編の話が収録されている。

 どの話も仏教の僧侶ならではの豊かな視点から「いのち」や、翻って「死」に対する考え方が語りかけるように伝わってくる。

「腹落ち」する筆者の言葉

「日本人は、全てのものに仏様の”いのち”のはたらきをみてきたのです。鯨の供養もしましたが、針供養といって針の供養もしてきたのです。それは1つのものが存在するという、そこには人間がつくりだすことのできない”いのち”があると見るのです」(本書から抜粋)

 著者は、あらゆるものに「いのち」が存在することを説いている。

 この一編を読みながら、毎日散歩する道に鉛筆供養をしているお寺があることを思い出した。小学校の生徒が鉛筆を削りながら、一所懸命勉強して成長していく。

 鉛筆は削られて短くなっていく。鉛筆は「いのち」を削られながら、小学生の成長に貢献している。そうした考えが浮かぶと、筆者が説く鯨の話がストンと腹に落ちた。そこで初めて鉛筆供養の意味が理解できる。

 筆者はこうも説く。

「人間にとって一番大事なもの、それは”いのち”と”こころ”です。人の心は自由であり何人にも束縛されてはならない。たとえ囚われの身であっても。その人の心まで縛ることは出来ません。(本書から抜粋)

宗教書とは一線を画す一冊

 著者は本書で、「人に認めれれないことほどさびしいことはない」と書いている。

 ゆっくりゆっくり歩く老人を、帰宅途中の小学生がからかっていく。その様子を見た著者は「腹が立ちましょう」と老人に声をかける。老人は「なんの、なんの」と気にもかけない。一人さびしく暮らす老人は、からかいの言葉ですら他人から認めれていることと話す。

新聞にはさまざまな読者がいる。職業や異なる属性、宗教や居住する環境。健康な人や病気の人。本書はそうした多様な読み手を対象にしたコラムをまとめているため、とてもわかりやすい。

特定の宗教の教義や宗教の理論を唱えたものとは一線を画す本書は、一般的な日常の中で、忘れがちな「いのち」について、そして「死」とはどういったものなのかを教えてくれる。

流されがちな日常の中で、ふと立ち止まり「いのち」や「死」について気づきをくれる穏やかな1冊だ。

文・蜂巣 稔

[著者紹介]
小川 惠眞(おがわ・えしん)
昭和15年 大分県に生る。
 大分県連合青年団組織部長、同 副団長
 大分県県民体育大会10回出場表彰を受
昭和46年 山口市 光円寺に入寺。
昭和51年 明應山光円寺第15世を継職 現在に至る。
 嵯峨御流生花教授―水潤斎―
 山口刑務所教誨師

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