「血鑓九郎」と呼ばれた武士──長坂信政とその名を継いだ男たち
(著) 長坂幸夫
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―「血鑓九郎」の名を歴史に求めて―
家康の祖父清康の頃から代々徳川家に仕え、戦のたびに槍の柄が血で真っ赤になるほど奮戦した長坂信政は、その武勇により主君から「血鑓九郎」の名を与えられた。以後長坂家は、槍の武功によって知られた家柄として「血鑓九郎」の名と共に徳川の時代を生きた。初代信政から最後の「血鑓九郎」として新たな明治の時代を生きた伊三郎まで、14代にわたるその足跡を、長坂家の末裔として幼少より「血鑓九郎」の名を聞いて育った著者が、運命に導かれれるように辿りまとめた歴史とルーツの探索記録。
[目次]
プロローグ
血鑓九郎を訪ねる旅
長坂血鑓九郎の槍
徳川家康と血鑓九郎
初代 長坂血鑓九郎 信政(?~一五七二年)
二代 長坂血鑓九郎 信宅(一五四一年~一六〇三年)
三代 長坂血鑓九郎 一正(一五八二年~一六四七年)
信宅の四男 長坂 信次(一五八三~一六四六年)
信次の次男 長坂 清左衛門(?~一七〇三年)
信宅の五男 長坂六兵衛 信時(?~一六一五年)
四代以降の長坂氏 ――四代~十三代
四代から十三代までの血鑓九郎
最後の長坂血鑓九郎
十四代 長坂血鑓九郎 伊三郎(一八四七~一九二七年)
長坂血鑓九郎 伊三郎
明治維新と長坂家
伊三郎の功績
晩年の伊三郎
岡崎藩士長坂氏の明治維新 ――本多忠勝に仕えた末裔
血鑓九郎ゆかりの寺院
妙源寺(愛知県岡崎市)
墓誌に記されている六人 ――妙源寺に伝わる掛け軸
長龍寺(東京都杉並区)
妙覚寺(東京都稲城市)
宝蔵寺(埼玉県朝霞市)
明月院(神奈川県鎌倉市)
資 料 編
徳川旗本
長坂家の家紋
江戸時代の長坂家の屋敷
エピローグ
参考文献
あとがき
著者プロフィール
[担当からのコメント]
家系や家柄といったものは昔に比べれば重要ではなくなりましたが、それでも自分のルーツがどこにあるのかという興味は今も失われていないようです。そんなルーツを巡る旅を楽しめる本書は、歴史好きの方はもちろん、そうでない方もお楽しみいただける内容になっていると思います。ぜひご一読ください。
[著者プロフィール]
長坂伊三郎曽孫
長坂幸夫(ながさか さちお)
1932年 東京都に生まれる。
1952年 東京都立北園高等学校卒業
1957年 東京教育大学農学部卒業
1957~1962年 板橋区立西台中学校教諭
1963~1965年 東京都立三鷹高等学校教諭
1965~1968年 東京都立青山高等学校教諭
1968~1971年 東京都立保谷高等学校教諭
1971~1978年 東京都立南多摩高等学校教諭
1978~1983年 東京都立拝島高等学校教頭
1983~1989年 東京都立調布北高等学校校長
東京都サッカー協会理事、審判委員長、関東サッカー協会理事、審判委員長、日本サッカー協会審判委員会委員を務める。
現在、東京都サッカー審判協会会長、上野原市文化協会会長、柳営会会員
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