倭と山東・倭・日本:倭人と北東アジア系渡来人の歴史

(著) 矢治一俊

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作品詳細

[商品について]
―臆見のない歴史の再構築、それは時空を超えた自分探しの旅―
・『元興寺伽藍縁起幷流記資材帳』では、「やまと」は「山東」と書かれている。
・卑弥呼の居た国の名を「邪馬台」と表記した史料は、中国正史等には見あたらない。
・中国正史等の史料全体の整合性を辿っていくと、倭(わ)国は九州島であり、日本(やまと)国は畿内にあったことがわかる。
――先入観に捉われずに多くの史料に整合性を持つ歴史の構築を試み、九州の倭(わ)国と北東アジア系渡来人、そして現在の日本へと続く「やまと(山東・倭・日本)」を描いた新機軸の「日本人」史。
【『縄文から「やまと」へ<DNAと中国史書からみた日本>』(2005年5月15日発行 日本図書館協会選定図書)改訂版】

[目次]
はじめに

第一章 日本人の起源
一 「日本人の起源」についての諸説
安本美典『日本人の起源』より
小泉 保『縄文語の発見』より
大山 元『古代日本史と縄文語の謎に迫る』より
竹内 均『日本人のルーツ』(ニュートン別冊)より
佐々木高明『縄文文化と日本人』より
小田静夫監修『日本人の源流』より
二 私の考え
旧石器時代から縄文時代はじめまで
縄文時代以降
倭人と北東アジア系本土日本人

第二章 山東・やまと・倭
一 山東について
元興寺の塔の露盤銘
「東漢」と「倭漢」
山東→東→倭
「東」と「と」
なぜ「山の東」だったのか
二 「邪馬臺」は「やまと」か
「邪馬壹」「邪馬臺」「やまと」
「臺」を「と」と読む人たち
「臺」「台」「と」の関係
なぜ「臺」を「台」と書くのか
万葉仮名の分類表
邪馬臺国と倭国
三 「倭」を「やまと」と読むことについて
枕詞の「倭」
倭人の国「やまと」
「やまと」が「倭」になるとき
四 「やまと」に来た倭人
「やまと」に来た倭人の記録
『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』の関連部分の概要
『記紀』と『先代旧事本紀』
ナガスネヒコについて
イワレヒコについて
ニギハヤヒについて
ニギハヤヒとナガスネヒコの国
倭人の国となった「山東」
「やまと」は「倭人の国」の飛び地
ヒノモトの「やまと」
ニギハヤヒとイワレヒコの時代
五 「倭面」の国について
各種の「倭面」の国
「委面」と「倭面土」など
「委面」について
「倭国」と「倭奴国」
『隋書』の倭奴国
「倭面」の国と「やまと」
倭奴・邪馬台・邪摩堆・倭面土を「ヤマト」と読むことについて
「倭面土」の語源

第三章 中国史書からみた倭国と日本国
一 所在について
東南大海中
万二千里と万四千里
會稽東治之東
二 行程・行路について
各史書における行程・行路
『魏略』『広志』の行程
『隋書』の行路
『魏志』の行程
三 地形・地理について
倭国はどこにあったのか
日本国はどこか
日本国の都
狗奴国の位置
毛人国と倭国・日本国
四 国名について
倭・倭国の代表国―邪馬壹国か邪馬臺国か
『旧唐書』の中の倭国と日本国
『新唐書』の中の倭国と日本国
小国の日本とは
倭奴国について
五 中国との通交について
倭・倭国の朝見
卑弥呼の銅鏡百枚
始與中國通
六 統治について
共立と一大率
弟王
内官十二等
七 風俗・風習について
南方的要素
衣服之制

第四章 日本人は倭人か
一 倭人の国
倭人の国・倭(わ)国(こく)
倭人の国・倭国(やまとのくに)
二 北東アジア系渡来人の国
「惡其名」の真相
倭人国への朝鮮文化の浸透
『日本書紀』の朝鮮半島記事

著者プロフィール

[担当からのコメント]
日本人はどこから来たのか、私たちのルーツを探る壮大な歴史の謎を巡る旅を、特別な知識がなくても楽しめるのが本書の魅力です。古代史や歴史に興味がある方はもちろん、自分の祖先やルーツを知りたいという方にもお薦めの一書です。

[著者プロフィール]
矢治 一俊(やじ・かずとし)

1949年 東京都生まれ 建築設計事務所等を経て地方公務員(~2004.3)。現代建築理解のため日本の古い建築・文化に接するうちに古代史と出会い、その不可思議さに惹かれる。以来、「資料全体に整合性をもつ日本古代史」を探し続ける。 平成十七年(2005)、『縄文から「やまと」へ 〈DNAと中国史書〉からみた日本』が日本図書館協会の選定図書となる。 著書 「『隋書俀国伝』の証明」(近代文芸社、1998) 『縄文から「やまと」へ 〈DNAと中国史書〉からみた日本』(文芸社、2005)

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