改訂版 志村吉兵衛の手紙: 幕末・明治の伊勢垣鼻村・松坂
(著) 志村圭志郎
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――常盤木倶楽部が東京で初めて開催した古書展の名称は、以下のどれでしょうか。
1.日本古書展覧会、2.東京書肆展覧会、3.珍書展覧会
古書展にはさまざまな本が並べられていたようです。正解は、本書「八 常盤木倶楽部に関わる事跡」をご覧ください。
志村和兵衛は、嘉永二年に紀州藩飯高郡垣鼻村の志村吉兵衛の三男として出生した。十三歳で田端屋江戸店へ奉公に出仕し、奉公人として和兵衛の名を与えられ、三十三歳のときには田端屋総理代人に推された和兵衛は、北海道の産物を商う会社として設立された北海道商会の主管となり営業に携わり、また北海道商会などの支援を受けて営業していた日本橋の料亭・柏木楼を貸付額を差引いて買い取り、会員制の倶楽部として常盤木倶楽部を発足させた。本書は、和兵衛が隠退し生家に戻った際に持ち帰った手紙類、書類などを元に、会員相互の親睦を図り、絵画展やかるた会などを催して明治から大正にかけての文化的な土壌の一端を担った「日本橋常盤木倶楽部」を中心に、「北海道商会」や和兵衛の妻「哥澤芝金」のことなど、祖父・志村和兵衛の事跡を追った作品である。
[目次]
はじめに
慶應三年十一月 伊勢路でのおかげまいり「よいじゃないか」騒動
慶應四年三月 鳥羽伏見の戰いでの伊勢路への落人流入、當時の物價
慶應四年四月 景氣の動向
慶應四年四月 戊辰戰爭と京都太政官へ松阪、津大手商人のお召し出し
慶應四年五月 戊辰戰爭の成行きや形勢などの情報収集催促
慶應四年五月 近畿地方を襲った大雨による洪水
慶應四年九月 戊辰戰爭、越後、奥羽での戰いの情報収集催促
明治元年十月 伊勢地の凶作、田端屋奉公の三男和兵衛の初のぼり
明治二年四月 東京三井兩替店へ奉公の次男清次郎の初のぼり
明治二年九月 次男志村清次郎の東京への戻り路
明治三年十月 九月の暴風による被害状況
明治三年十一月 暴風による凶作
明治三年十一月 川上八幡宮様へ鳥居奉納
明治四年三月 伊勢參宮人で宮川の渡し大賑い、紀州藩々兵として鉄砲方採用打診
明治五年か 參宮人の馬車及び人力車の利用増える
明治七年七月 松阪三井組、乾助五郎氏の切腹事件
明治七年七月 松阪三井組、北岡恒三郎殿の度會縣獄舎入獄
明治七年七月 松阪三井組、北岡恒三郎殿の度會縣獄舎入獄について續報
明治七年七月 度會縣の區画改正で戸長民撰、三井店番役北岡氏の杖刑
明治七年八月 松阪三井店の噂
明治七年十月 名殘天神様と川上八幡様への鳥居奉納、徴兵検査
明治七年十一月 志村和兵衛徴兵検査の免役条件、松茸の塩漬け送付
明治七年十二月 第一國立銀行設立に關わる東京三井組と小野組の對應
明治七年十二月 新税法の情報
明治九年十月 地租改正のため三重縣廳へ戸長出頭、米相場、愛宕山での澤村田之助の芝居
明治九年十二月 伊勢暴動起る
明治十年一月 居宅亂妨御届
明治十年一月 暴動後の垣鼻村關係者の處遇と、四五百城〈松阪城〉の失火
明治十年四月 西南戰爭從軍兵士の手紙
明治十年九月 伊勢地の景況
明治十年十月 孫出生に係わる伊勢での行事
明治十年十一月 志村吉兵衛、垣鼻村・田原村戸長免役願い却下
明治十年十二月 東京へ山の芋、青のり送付、地租改正の再改正
明治十一年四月 伊勢地景況
明治十二年六月か 垣鼻邊洪水の状況
明治十二年三月 三重縣區画改正に伴う志村吉兵衛御用掛申付と、その差免願い受理
明治十三年三月 松阪愛宕町交番新設
明治十三年三月 伊勢參宮人の賑い、諸物價
明治十三年七月 明治天皇御巡幸、七月七日松阪午前十一時に御着、随員の文部卿は落成した垣鼻村小学校を御順覽される
明治十三年七月 伊勢地旱魃
明治十四年二月 松阪での放火事件
明治十四年十月 東京、大阪合併大角力興行、松阪旧城跡公園地となる
明治十五年一月 諸物價
明治十五年六月 諸物價
明治十五年八月 暴風雨の影響
明治十五年十二月 景氣情報
明治十六年一月 米價と薪炭その他の價格
明治十六年一月 九年暴動の補償申請
明治十六年二月 大雪の影響、炭の價格
明治十六年四月 伊勢地不況、伊勢參宮人の旅の様子
明治十六年四月 伊勢神宮の御木曳きと參宮人の賑い、松阪城の公園認可及び山室山神社引き移し
明治十六年五月 松阪、垣鼻地區の御木曳き
明治十六年八月 旱魃の影響
明治十六年十二月 松阪西町、山村次郎兵衛長男兼吉のこと
明治十七年二月 伊勢參宮旅人減少による影響
明治十七年六月 旱魃の心配
明治十七年七月 日照り後の大雨
明治十八年七月 梅雨時期の大雨と洪水
明治十八年十二月 初雪、米相場
明治十九年二月 山の芋送付
明治十九年四月 參宮人宿泊料その他
明治十九年七月 コレラの流行
明治十九年七月 日照り後の雨とコレラの流行續報
明治十九年八月 垣鼻村田畑景況
明治十九年九月 やっと雨降る
明治十九年十二月 皇〈太〉后様のお通りのため垣鼻村徳和坂を切下げ 勾配を緩やかにする工事
明治十九年十二月 藝妓十五、六人連による芝居興行が大賑い
明治二十年三月 皇太后宮様伊勢御參拝、松阪へは六日晝お着
明治二十年四月 伊勢街道、旧三月中少々賑わう、桑名で大雪
明治二十一年二月 數ノ子、鮭の相場
明治二十一年四月 鰹節の相場
明治二十一年五月 愛宕座初舞臺に付き興行(狂言曾我物語)
明治二十一年十二月 一身田專修寺門主様、松阪へ派出、十三日晝眞臺寺で御晝食
明治二十二年三月 町村制の施行による松阪町と垣鼻村に係る問題
明治二十二年四月 町村制ノ儀ニ付、松阪町と垣鼻村ニ係る件、殿町、産神社御遷宮
明治二十二年四月 町村制ノ儀ニ付、松阪町と垣鼻村ニ係る件、續報
明治二十三年三月 山田、舟上りの參宮人で大賑い
明治二十四年一月 米相場
明治二十四年十二月 愛宕座にて女義太夫、京抜京駒の興行中に門前町出火
明治二十五年七月 炭相場
明治二十六年三月 垣鼻徳和坂上「藤ノ棚」料理店休業
明治二十六年四月 松阪大火状況、料亭「廣月樓(むさし野)」 燒け、藝妓二十人程志村宅へ避難
明治二十六年四月 松阪大火見舞
明治二十六年四月 參宮人の賑い
明治二十六年七月廿八日 消息
參考資料 垣鼻村の壬申戸籍
終りに
補遺
凡 例
明治七年六月 正副戸長給料の割増
明治七年八月 田原村戸長の垣鼻村戸長との兼務願い
明治八年七月 七月九日よりの日照り續きで雨乞
明治八年八月 金毘羅参詣途中の奥州岩手郡南部盛岡町、 七左衛門病死につき御届
明治九年七月 垣鼻村蛇之枕池堤での花火大会
明治九年十二月 伊勢暴動につき父吉兵衛宛て、志村和兵衛・向井小右衛門 見舞状
明治十年十月 神葬墓地として海會寺地区荒蕪地拂下げ願い
明治二十三年 海會寺梵鐘売却され、多気町井内林、光徳寺に移る
文 献
あとがき
著者略歴
[出版社からのコメント]
私たちの社会は、歴史の影に埋もれた数多くの人々が繋いだ生活や文化の上に成り立っています。本書を通じて、そうした歴史の一端を垣間見る愉しみを多くの方に味わっていただければ嬉しく思います。
【著者略歴】
志村 圭志郎(しむら・けいしろう)
1935年 三重県松阪市に生まれる。
昭和33年 明治薬科大学卒
薬剤師 医学博士 元三重大学医学部助教授
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