真珠湾攻撃の電文を送った無線塔――行田無線物語:東洋一と謳われ、船橋のランドマークともなったその歴史を辿る

(著) 滝口昭二

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作品詳細

[商品について]
―行田無線の主塔は何メートルあったでしょうか―
1、100メートル  2、150メートル  3、200メートル
正解は、本書 第5章2節「決死の意気込みの日本技師たち」をご覧ください。
大正4年、千葉県塚田村(現船橋市)に建設された行田無線。本書はその船橋で育ち、後に船橋の市史編纂室に勤務したことをきっかけに行田無線について調べ始めた著者が、朝鮮人虐殺の経緯や真珠湾攻撃へといたる暗号電文、船橋送信所の返還の背景など、様々な資料を渉猟しながらその歴史を紐解いた作品である。子供の頃は地域住民のランドマークであり、現在はその建設の経緯から解体された行田無線が、時代と共に歩んだ道のりを丁寧に描いた一書として、歴史的にも貴重な内容となっている。

[目次]
はじめに
1 逓伝に利益大なるべし―三六式の開発
1、海軍望楼の設置と無線技術の研究
2、実験するの要ありと信ず
3、日露戦争と無線電信
2 大電力無線電信所をつくれ
1、銚子無線の設置と通信範囲の拡大
2、電気通信調査委員会発足と候補地決定
3 電信所用地の買収と行田新田
1、東葛飾郡行田新田の概要
2、雷が落ちた・・買収された村
3、空閑地と地主団結成―オゾンたっぷり
4、借下げ用地と耕作制限
4 無線電信所の建設
1、大型無線電信機の発注と起工式
2、シーメンス事件の発覚
3、船橋海軍無線電信所関係
4、シーメンス事件の判決
5 第一次世界大戦と行田無線
1、日本人にはできない
2、決死の意気込みの日本技師たち
6 東洋一の船橋海軍無線電信所
1、開所式―聳え立つ無線塔の下で
2、船橋海軍無線電信所の構造
3、傘型空中線
4、主塔
5、副塔
6、建物
7、敷地
7 船橋無線電信局と日米通信
1、開局までの状況
2、船舶無線の開始
3、日米無線への努力
4、船橋無線電信局の開局
5、世界と繋がる船橋無線局と無線傍受
6、日米通信の輻輳と二重通信
7、船橋無線局による日米通信の終結
8 国内の巨大無線電信所の概要
1、鳳山海軍無線電信所(台湾)
2、磐城無線電信局(原町送信所)
3、佐世保海軍無線電信所針尾送信所
4、日本無電(株)依佐美送信所
5、国内巨大無線塔の果たした役割
9 街の中の船橋無線・無線塔
1、出現した大きな傘
2、街の中の無線塔
3、歌謡・音頭の中の無線塔
4、絵葉書の中の無線塔
5、地図・案内図の中で
6、教科書の中で
7、市歌・校歌の中で
8、市民にとっての無線塔
10 関東大震災と行田無線
1、関東大震災と船橋
2、関東大震災に関わる行田無線の記録
3、行田無線の被害
4、救援活動の開始
5、連合艦隊の救援出動
6、暴動の発生と拡大
7、送信所と流言蜚語についての諸説
8、送信所の果たした役割と課題
9、大震災の中の行田無線と私たち
11 船橋送信所の改修
1、船橋海軍無線電信所の改称と改修
2、海軍通信組織の再編成
3、船橋送信所の改修―無線機器などの増改設
4、敷地の拡張
5、無線塔改修工事
6、改修工事の完成時期
12 新高山登レ
1、「新高山登レ」に関する叙述と問題点
2、諸論に見られる課題
3、発信までの経過を追う
4、「ニイタカヤマノボレ」を巡る問題
13 米軍進駐時代
1、米軍進駐とFAC通信所
2、対日平和条約締結以後
3、船橋特別無線送信所の廃所
4、米軍占領時代の残影
5、米軍管理下の土地問題
14 船橋送信所の返還
1、船橋送信所返還の報道
2、船橋送信所の返還の背景
3、返還された送信所施設
4、船橋送信所敷地問題の解決
5、無線跡地の保存運動
15 船橋送信所の解体と跡地利用
1、諸施設と鉄塔の撤去
2、鉄塔解体を記録した人々
3、残されたものいくつか
16 船橋無線塔記念碑の建設
1、行田無線跡地の分割
2、県立行田公園の概要
3、記念碑建設計画
4、記念碑建設までの経過
5、船橋無線塔記念碑のあらまし
6、記念碑除幕式
7、その後の無線塔記念碑
17 巨大無線塔のその後
1、鳳山海軍無線電信所のその後
2、磐城無線電信局
3、佐世保海軍無線電信所針尾送信所
4、国際電気通信(株)依佐美送信所
18 「行田無線史」の終わりに
(寄稿)
船橋無線電信所模型の製作について
1.製作の動機と目的
2.レンガ製主棟、200m半自立鉄塔の製作
3.182m自立鉄塔の製作
4.K型 傘型アンテナの製作
5.G型182m自立鉄塔6基の製作
あとがき
著者略歴

[出版社からのコメント]
現代ではポケットに入るほど小さいスマートフォンでいつでも海外と繋がることが出来ます。しかし、大正4年当時は巨大な無線塔を建設せねばならず、数回にわたるテストを繰り返しようやく繋がることが出来ました。しかし、サンフランシスコまでは1語42銭であったのです。その当時、東洋一の行田無線の役割は日本、並びに世界の歴史を知る上で欠かすことはできません。本書では、それを詳細に至るまで記されています。当時を知らない若い世代の方にも是非読んでいただきたいです。

[著者略歴]
滝口 昭二(たきぐち・しょうじ)

1937年東京生まれ

学歴及び職歴
 千葉大学教育学部卒
 主に船橋市内教員として勤務
 千葉県教育委員会指導主事
 船橋市視聴覚センター所長
 中野木小学校長で退職
 船橋市市史編纂室嘱託
 船橋地名研究会会長(1997年創立)

主な著書
 滝口さんと船橋の地名を歩く
 惣五郎百話
 惣五郎はいかに語られたか
 吉岡七平の千箇寺往詣
 郷土資料館の一代のオルガン
 しんけえせえの話
 山崎別荘
 東京都立花輪戦時疎開学園

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