明智光秀 本能寺までの道のりを辿る史跡写真とその解説集

(著) 塩見弥一

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作品詳細

「明智光秀は、故実・典礼に通じ、茶の湯、和歌、連歌を好む理性的で教養豊かな武将であったが、天正10年(西暦1582年)京都・本能寺で織田信長を襲殺した後、山科小栗栖で無残な最期を遂げ「悲運の武将」といわれている。(中略)しかし、光秀の首塚や供養塔・位牌・木像をもつ寺が近畿地区を中心に約20か所もあることは、光秀というひとりの武将の存在と死の意義が大きかったあらわれであろう。(中略)
子供のときから光秀の話を聴き、光秀が唄いこまれた盆踊り唄で踊って育ったことから、ここ数年にわたって光秀とその一族の史蹟写真を撮影してきた。このたび、明智光秀ゆかりの地の写真集を出版することになり、光秀出身の美濃の地に私がたまたま赴任しているという巡り合わせとともに、光秀ファンとして幸せに思っている。」(まえがき)

【著者プロフィール】
塩見 弥一(しおみ・やいち)
昭和12年 京都府福知山市生まれ
立命館大学法学部卒業

国家公務員として文部省所轄の京都大学、東京大学、琉球大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、高知医科大学勤務を経て現在岐阜大学庶務部勤務

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