義勇軍そして満洲その回想:土壌(つち)と銃弾(たま)に埋もれた歴史
(著) 大西忠義
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行け大陸へ、日本の生命線、満州を守れ――。
義勇軍の名のもとに集められ、満蒙開拓民として送り出された十代の青少年の多くは、敗色濃厚な戦況の中で関東軍の捨て石にされ、極東の凍土で命を落とした。
国を守る使命に燃える若い魂も、絶対服従と私刑のはびこる訓練所で擦り切れてく。満洲に侵攻したソ連軍の圧倒的な戦力になす術もなく、疲労と飢えを抱えながらの逃避行に、自分がどこにいるのかさえも分からなくなる。体力のない子どもから次々と斃れる日々を生き抜いて日本に戻っても、軍人恩給すら受けられない現実。
大東亜共栄圏、民族協和を謳ったあの戦争は何だったのか。
14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願し、生きて日本の地を踏んだ著者が、共に帰ることの叶わなかった同胞たちの鎮魂と平和への祈りを込めて、いま静かに問いかける。
「目次]
はしがき
義勇軍志願から内原訓練所
義勇軍志願と生い立ち
進学を断念
義勇軍志願へ
ほか
渡満、勃利訓練所
渡 満
勃利訓練所
衛兵勤務
ほか
東安訓練所・・・義勇隊開拓団へ派遣
東安訓練所へ
野 火
中隊の厄介者
ほか
東京城捕虜収容所、延吉二八収容所と二八病院
東京城捕虜収容所、命がけの泥捧
関東軍参謀の訓話
黒パン
ほか
延辺大豆油房
ソ連軍衛兵司令
延辺大豆油房
闘 病
ほか
日僑管理委員会生産部
技術者協会から日僑管理委員会に
大衆百貨店と農場
白川さんが農場に来る
ほか
吉林そして秦皇島へ
東北化学工廠
瓦礫の山
一号電気炉
ほか
満州の回想こぼれ話
豚の員数外(義勇隊勃利訓練所)
歩哨に歩哨を着ける(義勇隊勃利訓練所)
官舎当番の反乱(義勇隊勃利訓練所)
ほか
あとがき
この本を著すに当たっての参考文献
著者略歴
[出版社からのコメント]
「お国のために」「非国民」といった言葉は、戦前の日本の常套句ですが、こうした言葉の奥底に流れるものは、現代の日本にも存在しているように思います。日本人の美徳が悪徳に変わる戦争の現実、この教訓は断絶がはびこる今の世にこそ生かすべきものです。戦争という巨大な現象の全てを知ることができる人はいませんが、残された声に耳を傾けることをあきらめてはいけない、本書がそうした思いを多くの方に持っていただける一助となることを願います。
[著者プロフィール]
大西 忠義(おおにし・ただよし)
昭和5年(1935)1月1日
長野県飯山市(旧下高井郡木島村)に生る
昭和11年(1941)木島尋常高等小学校入学
昭和16年(1946)同村高等小学校入学
昭和19年3月高等小学校卒業
昭和19年(1944)3月 満蒙開拓青少年義勇軍志願
昭和19年(1944)3月 義勇軍内原訓練所入所
昭和19年(1944)6月 旧満洲勃利青年義勇隊訓練所
昭和20年(1945)3月 東安青年義勇隊適正規模訓練所
昭和20年(1945)8月 ソ連軍と戦闘敗戦9月捕虜になる、
昭和20年から昭和28年 中国で生活
昭和28年(1953)5月帰国
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