ヒロちゃんの町──昭和のころの大切な思い出
(著) 長瀬博
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[商品について]
ー戦争がつづいていたころの、ある男の子の物語ー
おもちゃ屋に材木屋、着物屋など、小学校四年生のヒロちゃんの通学路には、いろいろなお店が並んでいます。その中でもヒロちゃんが一番好きなのは、かじ屋さんでした。「じい」と「さぶ」の二人が息を合わせて真っ赤に焼けた鉄を打つと、「トン・テン・カン」という気持ちのいい音が鳴るのです。でもある日、「さぶ」が兵隊として戦争へ行くことになり、ヒロちゃんの町から「トン・テン・カン」の心地いい音は消えてしまったのでした。ーー
みんなのおじいちゃん、おばあちゃんが子どもだったころの日本は、どんなようすだったのでしょうか。ヒロちゃんが小学生だったころ、日本は戦争の時代でしたが、いろいろな色や音、そしてあたたかい人の心が町にあふれていました。
かじ職人のお兄さんと、ヒロちゃんのお別れをえがいた『とん・ちん・かん、トン・テン・カン』。おまつりにやってきたアコーディオン弾きのおじいさん出会ったヒロちゃんの心の成長を描いた『ヒロちゃんと草笛』の2つのお話がまとめられた作品です。
[目次]
二つのはなし(『とん・ちん・かん、トン・テン・カン』と『ヒロちゃんと草笛』)
とん・ちん・かん、トン・テン・カン
ヒロちゃんと草笛
著者プロフィール
[担当からのコメント]
物語が持つ魅力の一つに、その時代の風景や空気を蘇らせてくれる、というものがあると思います。本作で描かれているのは、戦争の影響を受けながらも、人と人との温かい心の交流が見られた昭和の時代です。特に『とん・ちん・かん、トン・テン・カン』は、中学の入試問題としても採用されるなど、楽しくも考えさせられるところの多い作品となっています。当時を知らないお孫さんなどと本書を共有し、心に感じたことを語り合うのもおすすめです。
【著者プロフィール】
長瀬 博(ながせ・ひろし)
1931年秋田市生まれ。現在、安曇野市穂高在住。武蔵野音楽大学別科声楽科修了。テノール歌手、草笛奏者。長野県の小・中学校の教師を45年間務める。
現在は草笛の演奏や独唱会、合唱指導の傍ら、童話や随筆なども執筆。
幼少の頃から、レコードを聞き、両親がクリスチャンだったため賛美歌を歌い、戦時中は、軍歌を歌って育った。兄弟6人だったので、口べらしに予科練に合格し、航空隊に入隊の予定が、敗戦のため断念。入学していた松本夜間中学を続ける事にし、母親からは、15歳の頃「兄弟が多いので、面倒見れないから一人で生けて行け」と宣告され以後、新聞配達(3年間無欠席)や土木作業員をやって一人で生きて来た。17歳の頃、松本音楽院へ行って声楽をやったらどうかと、級友から言われ、何となく声楽の勉強を始めた。それが終生の大きな目標になった。大学等、行く学費もなく、一年間働いて音楽の勉強を続けました。土木作業員をやって過ごしていた所、二年目の7月、代用教員を求めている事を知り、応募した所、梓中学へ行く事になり2年間音楽専科をやりました。でも、力の無さを感じ武蔵野音楽大学の別科声楽科に入り、修了したが、アルバイトがたたり、栄養失調でダウンした。松本へ帰って、休養していたが求められて再度、代用教員として、木曽へ赴任した。上田小中学校で7年間、音楽専科として4年間、分校で3年間勤める、以後、豊科小学校(7年)白馬北小(8年)穂鳥南小(7年)三郷小(10年)豊科南小(3年)松川小(1年)計45年間、教員生活を送った。その間、大学へ行く分、個人の声楽家のレッスン(2万円~3万円)を受けて、ベルカント唱法を学んだ。レッスン代を溜めて、名のある声楽家にレッスンを受けた。その成果を見るために今迄450回位の演奏会を持ち、ベルカント唱法の向上に努めてきた。
その間、SBC、NHK、あづみのFM放送に出演し、NHK、ABN、NBSテレビに出演 現在に至っている。
【イラストレータープロフィール】
大島 和芳(おおしま・かずよし)
1946年長野市生まれ。現在、安曇野市穂高有明在住。1969年信州大学教育学部卒業。同年二科展入選(以後連続6回入選)。80年創元展入選。91年現代洋画精鋭選抜展銅賞受賞。2005・2006年日展入選。創元会会員。審査員・運営委員。
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