幣原喜重郎──平和の種を植えた人:「不戦」の道はいかにして作られたのか
(著) 酒井則行
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―「公直無私」を貫いた外交官にして政治家の生涯―
日清・日露戦争から日中戦争、そして太平洋戦争へと武力強化と戦争の道を突き進んだ日本の中で、外交官として国際協調主義を貫き、戦後は内閣総理大臣として戦争の放棄を宣言した憲法改正案の成立に大きな役割を果たした幣原喜重郎。剛直な人柄の中にユーモアを潜ませ、国際平和と日本の未来を想い続けた男は如何なる人生を歩んできたのかーー自伝『外交五十年』では伺い知れない幣原の実像を、様々な資料をもとに浮き彫りにした今こそ読みたい幣原喜重郎伝。
[目次]
はじめに
大阪門真について
幣原家跡地の幣原兄弟の記念碑
幣原家について
① 喜重郎の両親が生まれるまでの少し長い話
② 喜重郎の両親の時代
③ 喜重郎の幼少期
④ 父母の決意
⑤ 子どもの進路
⑥ 勉学一筋、中高等生時代
⑦ 母の言葉を胸に、大学へ
⑧ 外交官を志す
⑨ ついに外交官となる
⑩ 世界の中心イギリスへ
⑪ 結婚前後
⑫ デニソンの薫陶(くんとう)、グレイに倣(なら)い成長
⑬ アメリカの排日土地法に取り組む
⑭ オランダ特命全権公使となる
⑮ ユーモアに富んだ外交官
⑯ 欧米の「平和希求」を実感
⑰ 喜重郎一家を成す
⑱ ワシントン軍縮会議・病をおして活躍
⑲ 関東大震災起こる
⑳ 外務大臣として協調外交をすすめる
㉑ 不戦条約批准
㉒ ロンドン軍縮会議
㉓ 「公直無私」を揮毫
㉔ 貴族院議員としてできることを
㉕ 在野外交
㉖ 日米開戦
㉗ 日本敗戦
㉘ 突然の総理大臣の大命
㉙ 戦争放棄・武力の不保持を提案
㉚ 国会で憲法案審議
㉛ 政党に属し日本の将来を展望
㉜ 喜重郎最晩年
㉝ 喜重郎没す
おわりに
著者
[担当からのコメント]
幣原喜重郎が外務大臣時代に行った協調外交は「軟弱外交」との誹りを受けましたが、本書を読むとその非難が如何に的外れであったか分かります。国際協調や国連の意義が揺らぎ始めている今こそ、ぜひ多くの方に手に取っていただきたい一書です。
[著者略歴]
酒井 則行(さかい のりゆき)
1946年12月 現・富山県南砺市城端に生まれる
富山県・城端町立小学校入学
大阪府・門真町立小学校卒業
門真町立中学 入学・卒業
大阪府立寝屋川高等学校入学・卒業
山梨県都留市立都留文科大学国文科入学・卒業
大阪・門真市立(南・水島・四宮・北)小学校勤務
2009年3月 「縄文土器模造品66考古展」
2011年10月 『世界遺産五箇山から縄文時代を探る』出版
11月 「縄文土器再生」作品展
2012年12月 関西テレビ「よ~いドン!」「となりの人間国宝さん」認定
2013年8月 岩手県一関市藤沢縄文野焼き祭「縄文野焼賞」受賞
2014年3月 「忘れない福島縄文人の技と美」作品展
8月 岩手県一関市藤沢縄文野焼き祭り「優秀賞」受賞
2015年4月 『門真の蓮根ヒストリー』出版
2016年4月 『堀溝村 庄屋さんの地震記録』出版
2017年 『門真の蓮根ヒストリー余禄』出版
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