数奇の革命―利休と織部の死【電子書籍版】
(著) 児島孝
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―茶の湯、その革命的な思想とは―
天正19年に京都・葭屋町の利休屋敷で自刃した千利休、その20年余のちに師の利休と同じく自刃して果てた古田織部。ともに茶の湯の宗匠と呼ばれたふたりの死は、単なる偶然の重なりだったのだろうか。利休と織部がともに目指し、追求しようとしていたものとは何だったのか――日本の伝統文化という憶見に塗り固められた茶の湯の中から桃山時代の茶の湯、数奇の茶の真の姿をあぶり出し、その本質を読み解くこれまでにない視点の日本文化論。
第5回紫式部市民文化賞作。
[目次]
プロローグ
Ⅰ 数奇(すき)と風狂のはざまで
利休が説く茶の湯の極意
人と違え、自分と違えて
宗及一世一代の茶
利休の手前
新しさと流行
数奇の世界
心を師として
堺に始まった数奇の茶
歌論に数奇を悟る
しきたりを破る
貴賎(きせん)平等、人は平等
市中の山居
茶道具の一新
わび数奇に傾斜
Ⅱ 時の流れ
数奇の茶と権力の出会い
密室の効用
名物狩り
名物茶器の争奪
茶の湯の許可制
領地よりも名物茶器
茶の湯におぼれて
茶器高騰、贋作横行
Ⅲ 数奇が走る
信長から秀吉へ
わび数奇へ
わび数奇流行
数奇の建築
利休の珠光発掘
唐物の排除
数奇と器量
禅の借用
なぜ、禅か
文章法の変革
中世の終焉(しゅうえん)
Ⅳ 禅のくびきを脱して
武家進出、町衆後退
器量か、道理か
近世茶の湯へ
武家好み
草庵から書院へ
書院の数奇屋化
書院の茶
数奇の美
景六分に用四分
桃山茶陶
南蛮料理の伝来
会席料理のコース化
民衆の食べ物
抹茶の色も緑に
吸い茶の流行
ふくさとミサ
Ⅴ 数奇の鎧(よろい)
前野家文書「武功夜話」
大徳寺三門の利休木像
関係者に咎めなし
革命の建築
茶の湯と数奇屋平面
民衆文化のシステム化
同志から一転、敵へ
処罰は利休ひとり
織部の死
家康と織部の道理
Ⅵ 数奇の落日
光悦と宗達
鷹ヶ峰の光悦村
遠州ときれいさび
数奇屋風書院造
秀忠の脅し
数奇の造形の浸透
公家社会の茶の湯
正座の出現
小袖からきものへ
終わりの始まり
習いの復活
わびの新解釈
文化革命の遺産
禅で茶の湯を説く
儒学が説く茶の湯
利休へ帰れ
利休が復活した時代
道を極める
数奇の茶の変質
歴史の闇の中に
参考文献
あとがき
市販本の出版にあたって
付 利休は、なぜ切腹に追いこまれたのか?
秀吉、床の間にあがる
異形の造形
待庵と朝鮮民家
枚方の船付き
黄金の茶室と利休
利休をわび茶でくくれるか
朝鮮ブームにわく
利休の出自
内部に朝鮮出兵反対の声
大徳寺三門の増築
昨日の同志は今日の敵
利休切腹
叱咤仏にされた利休
注・参考文献
著者略歴
[担当からのコメント]
千利休や茶の湯というと「わびさび」の世界をイメージされる方も多いでしょう。その日本的で独特な感性にはどこか静かな印象がありますが、原初の茶の湯の姿は私たちがイメージするものとは全く異なっていたことを、本書は読み解いていきます。石膏で固められ陳列された歴史ではなく、脈動し生きていた歴史に眼差しを向けなければ、私たちは歴史から学ぶということはできないのかも知れません。利休や織部、そして茶の湯の歴史を通じて新たな視座で日本の文化や社会を理解する、その一助として本書を多くの方にご活用いただければ嬉しく思います。
[著者略歴]
児島 孝(こじま・たかし)
1935年京都市生まれ。1958年、同志社大学経済学部卒業。
新聞記者を経て、1963年からフリーライター。主に社史の編集・執筆にあたる。
1995年『数奇と呼ぶ日本の文化革命──利休、織部の死の裏にひそむ意外な史実』で宇治市主催の紫式部市民文化賞
1997年『利休はなぜ切腹に追い込まれたか』(久田宗也監修・西村豁通編『京のかくれ話』所収、同朋舎出版)
2004年『近代日本画、産声のとき──岡倉天心と横山大観、菱田春草』(思文閣出版)
2006年 上記受賞作を『数奇の革命──利休と織部の死』と改題して刊行(思文閣出版)
2019年『近代日本画、産声のとき 天心、大観、春草の挑戦』電子書籍化(22世紀アート)、AMAZONで販売
2020年『花の心 花の姿』電子書籍化(22世紀アート)、AMAZONで販売
2020年『数奇の革命──利休と織部の死』電子書籍化(22世紀アート)、AMAZONで販売
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