「墨俣一夜城」伝説は本当に虚構なのかーー歴史における秀吉神話の虚実と『武功夜話』の真偽を問う

(著) 牛田義文

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[商品について]
―歴史研究は、自説を主張するためにあるのではない―
豊臣秀吉の出世譚としてしばしば語られる「墨俣一夜城」伝説は、近年の研究では否定される傾向にある。しかしもしこの伝説が虚構であるとすれば、築城に関わった蜂須賀や川筋衆たち数千人の手柄話もなかったことになる。本書では『武功夜話』や「蜂須賀書状」をはじめ新旧の史料を渉猟して否定派と肯定派それぞれの論拠を検証しながら、同伝説の真偽に迫ってゆく。虚実入り交じった秀吉研究にメスを入れる、歴史ファン必読の一書。

[目次]
第一章 序論
一.はじめに
二.《太閤記もの》と《信長記もの》
三.年紀について
四.秀吉の受難と復権
第二章 幕府崩壊と新史観の誕生
一.新しい史観と『信長公記』
二.築城否定説と『武功夜話』偽書説の出現
三.通説と否定説のはざま―最近の諸書―
第三章 信長の築城
一.永禄三年の西美濃(墨俣)侵攻
二.永禄四年の西美濃(墨俣)侵攻―森部合戦
三.永禄五年の西美濃侵攻と挫折―軽海合戦(十四条合戦)
四.信長の墨俣築城―その問題点
第四章 西美濃から東美濃へ(永禄六・七・八年)
一.永禄六年、信長の動向
二.永禄七年ごろの信長
三.稲葉山城落城は永禄七年か同十年か
四.信長の東美濃攻略―永禄八年
第五章 秀吉の築城
一.[信長の築城]と[秀吉の築城]
二.[秀吉の築城]と古文献類
三.『太閤記』と『武家事紀』
四.永禄九年の墨俣築城
五.墨俣築城譚への主な反対理由
第六章 築城に関する通説と反対説
一.通説と反対説
二.築城不要説―従来の反対説
第七章 築城否定説(藤本説)
一.築城否定説―その一(藤本説)
二.築城否定説(藤本説)は正しいか
三.渡辺博士は〔九年型墨俣譚〕の捏造者か
四.秀吉築城譚は明治四十年が初見か
五.築城場所の問題
第八章 築城否定説(勝村説)
一.築城否定説―その二(勝村説)
二.伏屋一夜城について
三.秀吉の副状(添状)と伏屋一夜城
四.その他の付随的な築城否定理由について
第九章 『武功夜話』偽書問題
一.築城存否問題と『武功夜話』偽書問題
二.地名(富加)問題と『武功夜話』偽書説
第十章 原点(出発点)に戻って
一.築城否定説・『武功夜話』偽書説に対する私見
二.『信長公記』と『太閤記』と『武功夜話』
三.築城否定説と『武功夜話』
四.『武功夜話』に関する一部学者の見解
第十一章 『太閤記』と『豊臣秀吉譜』
一.『太閤記』と秀吉武功譚
二.秀吉築城譚と『中島文書』
三.『太閤記』と時代背景
四.林羅山と『寛永諸家系図伝』および『本朝将軍譜』
第十二章 終章
一.墨俣築城に関する蜂須賀書状(前野家文書)
二.結語
あとがき
著者略歴

[担当からのコメント]
歴史上の人物として誰もが知る豊臣秀吉が徳川の世ではほとんど忘れられた存在であったように、現在の私たちにとっての歴史がひと昔前には全く異なる姿をしていたという様なことは、他にも多々あるのだろうと思います。本書は単なる雑学や知識としてではなく、真の意味で歴史を学ぶうえで示唆に富む内容になっています。ぜひご一読ください。

[著者略歴]
牛田 義文(うしだ よしふみ)

〔略  歴〕
昭和5年 徳島県阿波郡(現、阿波市)に生まれる
昭和25年 徳島県立阿波高等学校卒業
昭和29年 中央大学法学部卒業

〔主要著書〕
『阿波 牛田一族の系譜』(1986年)
『訳注 阿淡藩翰譜』全十二巻(2001年)
『稿本 墨俣一夜城―秀吉出世城の虚実と蜂須賀小六―』(2005年)
『史伝 蜂須賀小六正勝』(2008年)

歴史研究会・大阪歴史懇談会・家系研究協議会、各会員

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