五島を通った遣唐使

(著) 櫻井隆

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[商品について]

――古代の日本で、遣唐使の中継地である五島に船が到着したことを大宰府に知らせる手段として使われたのは、次のどれでしょうか。

1.飛脚、2.烽火、3.鳥

正解は本書第1編第6章「史料にみえる古代の五島と後期遣唐使の関わり」をご覧ください。

舒明天皇2年(630年)に始まり、古代日本の国家形成に大きな影響を与えた遣唐使は、菅原道真が幕を下ろすまでの260年もの間、唐の最先端の知識と文化を日本にもたらした一大事業であった。本書は、その遣唐使の歴史の中でも後期の中継地として重要な役割を担っていた長崎の五島に着目し、『日本書紀』や『肥前国風土記』、『万葉集』などの史料や遺跡、伝承を渉猟しながら、古代の歴史における五島の歴史的意味を明らかにした作品である。「海の古代史」ともいうべき示唆に富む一書。



[目次]

はじめに

第一編 後期遣唐使の概要

 第一章 後期遣唐使の航路―南島路は存在しなかった―

  第一節 遣唐使の航路

  第二節 『古事記』六島生み神話にみる後期遣唐使の航路

  第三節 後期遣唐使の到着地

 第二章 後期遣唐使船の構造と建造場所

  第一節 後期遣唐使船の構造―V型船底の大型構造船―

  第二節 後期遺唐使船の建造場所―安芸国が中心―

 第三章 後期遣唐使の構成

  第一節 使節―選び抜かれた人物たち―

  第二節 遣唐使船を操る船員たち

  第三節 技能者(技手)

  第四節 留学者―遣唐使の主役たち―

 第四章 後期遣唐使とともに来日した人びと

  第一節 唐使の来日は一回のみ

  第二節 政策的に招聘(しょうへい)された人びと

  第三節 特筆される鑑真和上一行二十五人の来日

 第五章 後期遣唐使の朝貢品と将来品

  第一節 日本からの朝貢品

  第二節 唐朝からの回賜品(かいしひん)と日本への将来品

 第六章 史料にみえる古代の五島と後期遣唐使の関わり

  第一節 古代の五島の呼称はチカノシマ

  第二節 史料にみえる古代の五島の地名

  第三節 相子田停・合蚕田浦は中通島の青方(あおかた)・相河(あいこ)と推定

  第四節 川原浦(かわらのうら)は福江島の白石湾(しらいしわん)

  第五節 美弥良久(みみらく)埼・旻楽(みみらく)埼は福江島の三井楽(みいらく)半島柏埼

  第六節 橘浦(たちばなのうら)は福江島の玉之浦湾

  第七節 田浦(たのうら)は奈留(なる)島の船廻(ふなまわり)湾

  第八節 古代の五島の烽家(とぶひ)

第二編 五島を通った遣唐使

 第一章 山上憶良(やまのうえのおくら)のいた大宝(たいほう)の遣唐使―五島を通る南路の始まり―

  第一節 執節使粟田真人(あわたのまひと)(?〜七一九)

  第二節 大宝元年の渡海は失敗、翌二年五島から入唐

  第三節 大宝の遣唐使の画期的な成果

  第四節 山上憶良の歌にみる五島を通る後期遣唐使の航路

  第五節 五島を通って帰国と推定

  第六節 留学僧弁正(べんしょう)と道慈(どうじ)

 第二章 副使藤原宇合(うまかい)のいた養老(ようろう)の遣唐使―四つの舶(おおふね)の始まり―

  第一節 五島と関わりのある押使多治比県守(たじひのあがたもり)と副使藤原宇合の任命

  第二節 宇合の『肥前国風土記』松浦郡(まつらのこおり)値嘉郷(ちかのさと)条への関与の検証

  第三節 養老元年五島から入唐、二年帰国

  第四節 吉備真備の将来品とその意義

  第五節 阿倍仲麻呂(六九八―七七〇)の生涯

 第三章 天平(てんぴょう)の遣唐使―四隻とも五島へは帰着せず―

  第一節 多治比氏から二代続けて大使起用

  第二節 多治比氏と五島の関わり

  第三節 『萬葉集』にみる餞(はなむけ)の歌

  第四節 五島経由で無事入唐、玄宗に厚遇される

  第五節 多難を極めた帰路の航海―四船とも五島へ帰着出来ず―

  第六節 中止になった天平十八年任命の遣唐使派遣

 第四章 肥前松浦(まつら)の柂師(かじし)川部酒麻呂のいた天平勝宝(しょうほう)の遣唐使

  第一節 藤原北家から大使任命

  第二節 はなやかな送別の宴

  第三節 松浦出身の柂師川部酒麻呂の第四船、薩摩国石籬浦(いしがきのうら)に帰着

  第四節 優遇された勝宝の遣唐使

  第五節 第一、第二、第三船沖縄へ漂着―四船とも五島へ帰着出来ず―

  第六節 南島路は存在しなかった

 第五章 迎入唐大使使(げいにっとうたいしし)高元度(こうげんど)―渤海経由で入唐し、唐船で五島を通って帰国―

  第一節 渤海使の送還と勝宝の大使清河の帰国が任務

  第二節 判官内蔵全成(くらのまたなり)ら八十八人は入唐せず―対馬経由で帰国―

  第三節 天台僧円仁の『入唐求法(にっとうぐほう)巡礼行記(じゅんれいこうき)』に残る高元度の入唐経路

  第四節 清河の帰国かなわず―高元度ら唐船で五島を通って帰国―

  第五節 帰国しなかった送使沈惟岳(しんいがく)ら三十九人

  第六節 録事羽栗翔(はぐりのかける)、清河の許(もと)に留まり帰国せず

  第七節 中止となった天平宝字五年と六年任命の遺唐使派遣―渡唐への無気力さ顕著―

 第六章 問題続出の大使不在の宝亀(ほうき)の遣唐使

  第一節 宝亀の遣唐使の任命

  第二節 宝亀七年、五島合蚕田浦(あいこたのうら)から四船引き返す

  第三節 大使不在の宝亀八年の再出帆―順調だった往路の航海、四隻とも入唐―

  第四節 多難を極めた帰国―五島へは第三船一隻が帰着―

  第五節 唐使の応接に右往左往する朝廷

 第七章 宝亀十一年五月頃に大宰府を出発した送唐客使(そうとうかくし)布勢清直(ふせのきよなお) ―二隻で五島経由で往復―

  第一節 通説宝亀十年五月出発への疑問

  第二節 『続日本紀』にみえる唐使関連の記事

  第三節 唐使全員、宝亀十一年五月頃に五島を通って帰国

  第四節 沈惟岳(しんいがく)ら三十九人は帰国せず、日本に帰化

  第五節 五島を通って往復

 第八章 最澄・空海のいた延暦(えんりゃく)の遣唐使 ―五島田浦から延暦二十三年七月に出帆―

  第一節 任命と延暦二十二年四月の出帆直後の遭難

  第二節 延暦二十三年七月に五島田浦から入唐―二船は入唐、二船は大宰府へ漂廻(ひょうかい)―

  第三節 福州に漂着した大使葛野麻呂、空海の第一船

  第四節 明州に到着し、五島田浦(推定)へ帰着した第二船

  第五節 延暦二十四年七月、五島近海で遭難した第三船

  第六節 大同元年八月、空海を連れて帰った第四船

  第七節 最澄の入唐求法とその成果

  第八節 空海の入唐求法とその成果

  第九節 毒殺された霊仙(れいせん)

 第九章 五島旻楽埼(みみらくのさき)を目指した承和(じょうわ)の遣唐使―新羅船九隻と第二船で帰還―

  第一節 親子二代続けての大使任命

  第二節 承和三年の第一回目の出帆失敗―三船引き返し、第三船は遭難―

  第三節 承和四年の第二回目の出帆も失敗―五島旻楽埼を目指すも逆風に遭遇―

  第四節 承和五年の第三回目の出帆で渡唐―第一・第四船は宇久島から進発―

  第五節 入京したのは僅か三十五人―唐の待遇悪化―

  第六節 新羅船九隻と第二船で帰国

  第七節 円仁・円載の求法活動の成果

  第八節 五島を通った遣唐使船は、十六度、三十八隻

 最終章 菅原道真(みちざね)による遣唐使の停止とその背景

  第一節 九世紀の五島を通った入唐者たち ―承和の遣唐使以降寛平(かんぴょう)の停止までの間に―

  第二節 大宰権帥(だざいのごんのそち)在原行平(ゆきひら)による値嘉嶋設置の上奏

  第三節 奈留島(なるしま)にて風待ちした唐の商船

  第四節 菅原道真による遣唐使の停止

エピローグ 亡き人に逢えるみみらく伝説の誕生

あとがき

著者略歴



[出版社からのコメント]

歴史学の面白さは、長い時を経て生き永らえた往古の声に耳をすまし、新たな歴史風景の扉を開くことにあるのではないかと思います。本書は、五島と遣唐使のつながりを通じて、そんな歴史の面白さを存分に味わえる作品となっています。ぜひ手に取ってご覧いただければ嬉しく思います。

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